夢想家の日曜日

化粧した男達に胸を鷲づかみにされてしまった

世界は轟洋介の夢をみる――鬼邪高における〈キング〉、そして〈テッペン〉の所在

轟洋介という美しい男がいる。私はずっと彼の夢を見ている。白昼夢のように曖昧な境界を取る自我の中でぼんやりと考えている。
彼のまわりの空気はどうしてあれほど清冽で、張り詰めているのだろう。
その空気をかたち取るものが何であれ、薄氷のような鋭さと、脆さがそこにある。

 

 

轟はどこから来たのか 轟は何者か 轟はどこへ行くのか


 本稿は『HiGH&LOW THE WORST』、とくに轟洋介と村山良樹という2人の〈キング〉をめぐる覚書である。
 おそらく、本稿を読んでいただいている方は「ハイロー」と総称される『HiGH&LOW』シリーズ――SWORD地区に生きる熱き男たちが血と汗にまみれながら拳を交えるLDH謹製総合エンターテイメント作品群――はご存知のことだろう。ゆえに設定・あらすじなどの詳細は省くが、ひとまずハイローにおける轟洋介の位置付けについておさらいしておこう。彼は当初、SWORDのOを担う集団・鬼邪高校――定時制と全日制の2部からなる――の全日制に転校生としてやってきた。以下、『HiGH&LOW THE WORST』パンフレットの「轟一派」の項より引用する。

轟はルックスこそ優等生風だが、実は極限まで鍛え抜かれた肉体の持ち主で、全日における事実上ナンバー1の実力者だ。定時の番長・村山に挑むものの、わずかに及ばず敗退。クールすぎる性格から人の上にも立てず、結果として全日の均衡を崩す原因を作った。かつて拳を交えた芝マン・辻のふたりとは絆で結ばれ、常に行動を共にする*1

 なんて無駄のない人物紹介なのだろう(本日のお気持ちパート)。ここまでである程度前提知識は共有できたと思うので、早速本論に移ろう。
 なお、ここからの文章は以下の作品についてのネタバレを含むので、注意してほしい。
・『HiGH&LOW 〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜』
・『HiGH&LOW THE MOVIE』
・『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』
・『HiGH&LOW THE WORST』
・『仮面ライダージオウ』テレビ本編
・『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』
・『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』

 
「kingとking ぶつかり合う」先に待つのはなにか――常盤ソウゴとしての轟洋介


 「kingとking ぶつかり合う 痛みよりも 愛が勝る」――「HIGHER GROUND」のリリックである。このリリックに象徴されるように、ハイローシリーズ、ひいては『HiGH&LOW THE WORST』が〈キング〉と〈継承〉をめぐる物語であることに異論はないかと思われる。この2つの概念を精緻化するため、私は異なる世界の王について語りたい。『仮面ライダージオウ』の主人公、常盤ソウゴという〈キング〉についてだ。
 まずは、『仮面ライダージオウ』という物語について簡単に説明する。王様を目指す普通の高校生であったはずの主人公・常盤ソウゴは、50年後の未来――2068年において最低最悪の魔王・オーマジオウとして君臨していた。その未来を変えるため、2068年からやってきたのが明光院ゲイツ仮面ライダーゲイツ、そしてツクヨミである。しかし、そこにオーマジオウを「我が魔王」と呼び従う謎の預言者・ウォズが介入する。未来の出来事を知る彼の助けにより、常盤ソウゴは仮面ライダージオウへと変身を遂げ、オーマジオウへの覇道を駆け上がるのである。
 この説明でおわかりいただけただろうか?『仮面ライダージオウ』を全く知らない方に納得いただけるのかどうか、正直自信がない。東映特撮YouTubeチャンネルで第1話第2話が無料で観られるので、興味があれば是非観てほしい(観なくても本稿を読むにあたっては問題ない)。

 それでは、常盤ソウゴという〈キング〉と轟洋介の間にどのような関係があるのか。この2人の物語を比較しながら紐解いていこう。
 最も大きな共通点として言えるのは、ともに〈たったひとりのキングダム〉を持つということだ。常盤ソウゴは、「王様になる」という小さい頃からの夢を公言してはばからず、その浮世離れした言動ゆえか、真の友と呼べる存在はいなかった。しかし、ゲイツツクヨミが未来から到来し、ソウゴが魔王にならないか監視していくなかで、彼らの間に友情が育まれる(ゲイツがソウゴのことを「俺の友達だ」と言う第28話は涙なしには観られない)。
 轟洋介はどうか。不良に虐められた経験を持つ彼は、自らを鍛え上げることで優位に立とうとした。「形だけのダセェ不良」を忌み嫌う彼が鬼邪高にたどり着き、全日のアタマであった辻と芝マンに戦いを挑むのは当然の帰結といえる。辻と芝マンは轟に撃破されたにもかかわらず、轟vs村山の戦いを見守り、敗北した轟に肩を貸す。轟と「ふたりとは絆で結ばれ、常に行動を共にする」――轟一派の誕生である。
 「王様になる」という夢、不良たちの優位に立つ快感を希求する欲動――これらは自己完結的なものである。王への道は独りで歩むにはあまりにも不確かなものであり、「不良に勝つ」という野望自体は過去の自分の呪いを解く過程にほかならない。このような〈たったひとりのキングダム〉に玉座と王冠を用意するのは、つねに外部からやってきたストレンジャーである。すなわち、常盤ソウゴの場合はゲイツツクヨミ、ウォズという未来人であり、轟洋介の場合は辻、芝マンというかつての敵であるのだ。
 『仮面ライダージオウ』は、紛れもなく〈キング〉という存在をめぐる物語である。それと同時に、〈継承〉をめぐる物語でもある。平成仮面ライダーシリーズ20作品記念作である――そして「平成仮面ライダー」としては最後の作品である――この番組では、過去作に登場したライダーたちが「レジェンド」として客演しているのだ。ソウゴやゲイツは、レジェンドたちの力を「ライドウォッチ」と呼ばれる変身ガジェットとして継承する。ライドウォッチを託した側のレジェンドたちは、それに伴いライダーとしての力を失う(物語が進むにしたがってこの設定は曖昧になっていったが…)。言いかえれば、ジオウという存在自体がレジェンドに取って代わるのである。
 加えて、『仮面ライダージオウ』の「本当の最終回」と題された『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』では、さらなる転回が起こる。主人公・常盤ソウゴは「常盤SOUGO」なる者の替え玉であり、ソウゴがあれほどまでに渇望した王座は偽りのものだと発覚するのだ。自分がレジェンドたちにやってきたことは〈継承〉ではなく簒奪だったのではと思い悩むソウゴに、レジェンドのひとり・詩島剛(なんと稲葉友!)はこう告げる。

「俺がウォッチを渡したのは、お前が王様だからじゃない。お前だからだ!」

 詩島剛の言葉で自我を回復したソウゴはSOUGOを撃破。物語は空前絶後のP.A.R.T.Y.を迎える――のだが、それは別の話。ひとまず措いて、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』の5ヶ月後に封切られた『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』のラストシーンについても説明を加えなければなるまい。『仮面ライダージオウ』のTV本編が完結し、新番組『仮面ライダーゼロワン』の放映が開始された後に生まれたこの作品は、「去り行くライダー」である仮面ライダージオウと「歩み始めるライダー」である仮面ライダーゼロワンの「奇跡の出逢い」を描くものだった。そのラストシーンで、ジオウはゼロワンにタイマンを仕掛ける(このシーンは本当にタイマンとしか言いようがない。『HiGH&LOW THE WORST』で言えばラストの花岡楓士雄vs上田佐智雄とよく似た構図だ)。ソウゴは何を思い、一見唐突にも見えるタイマンを仕掛けたのか。『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』のパンフレットより、常盤ソウゴ役・奥野壮のインタビューを引用しよう。

僕の解釈ですけど、本気でゼロワンと戦ったわけじゃないと思うんです。むしろ、次の時代を託すべき存在として、ゼロワン=或人が相応しいのかどうか、試したんじゃないかな。そして、ジオウと戦ったことによってゼロワンがまたひとつ成長したはずです。素直じゃないやり方だけど、あれがソウゴなりの「バトンタッチ」のやり方なんですよね。勝負の決着がどうなったか、なんていうのはあまり意味がないんですよ*2

 平成最後の仮面ライダーであるジオウから、令和最初の仮面ライダーであるゼロワンへの継承――メタ構造としてはそうだ。しかし、これは〈その年を象徴するライダー〉という〈アタマ〉の継承でもある。常盤ソウゴという存在は、〈継承される〉立場から〈継承する〉立場へと転向しているのである*3
 ここまで、あまりにも『仮面ライダージオウ』の話をしすぎた。申し訳ない。先を急ごう。常盤ソウゴと同様に、轟洋介もまた〈継承される〉立場から〈継承する〉立場へと転向している。村山とのタイマンに敗北するも、〈定時のアタマと五分にやりあった〉という事実そのものが轟を〈全日のテッペン〉たらしめる。詩島剛が常盤ソウゴという人間自身にライドウォッチを託したように、村山良樹は轟洋介という男それ自身――〈キング〉としての轟ではなく――を自分と比肩しうる者として位置付け、その重みは轟洋介個人に対して刻まれる。轟と村山の間で交わされるデコピンの重みは継承の重みと同一であり、だからこそ轟洋介という男が背負う十字架の重みは果てがない。『HiGH&LOW THE WORST』のラストシーン、佐智雄とのタイマンに敗北した楓士雄に轟がデコピンすると見せかけ手を差し伸べる一連の流れるようなシークエンス――デコピン〈しない〉ことこそが轟洋介の見つけた〈継承する〉術であり、おそらくはあの瞬間が轟洋介が真の王座に手をかける起点にして村山良樹から継承された十字架の呪縛から解放された着地点なのだ。

 
轟洋介の背負う十字架――鬼邪高における〈キング〉、そして〈テッペン〉の所在


 オタクのこじつけ話はこれくらいにして、そろそろハイローの話に集中しよう。ハイローにおいて、〈いちばん〉を意味する言葉はひとつではない。アタマ、テッペン、キング――本稿ではこれら3つを再定義し、鬼邪高における〈キング〉、そして〈テッペン〉の所在について考える。なお、本稿における〈アタマ〉、〈テッペン〉、〈キング〉はそれぞれ後述の通り私が定義付けたものであり、「このキャラはここでアタマと言っているから云々」というようにキャラクターの言動の意味合いを規定するものではない。
 それでは、早速〈アタマ〉、〈テッペン〉、〈キング〉の再定義を行おう。私がここで定義するのは以下の式だ。

〈アタマ〉=〈キング〉+〈テッペン〉

 これはどういうことか。轟と村山の出会いから最初のタイマンまでが描かれる『HiGH&LOW 〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜』シーズン2・Episode7-8において、「轟、そのうちオメーにもわかるよ」としたのは「テメーが変わんなきゃ、どうやら世界も変わんねえみてえだわ」ということであり、同時に「俺が見たかった景色は一人で見るもんじゃねえ、仲間と見るもんだった」ということでもあった。加えて、『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』から『HiGH&LOW THE WORST』にかけて執拗なまでに描かれているのが、「拳が強えーだけじゃダメ」ということである。まとめれば、自己/仲間/拳の三拍子が必要とされているのだ。これを上の式に代入したものがこれだ。

〈アタマ(自己)〉=〈キング(仲間)〉+〈テッペン(拳)〉

 常盤ソウゴと轟洋介の比較でもみたとおり、〈キング〉の座を用意するのは常に他者である。ゆえに〈キング〉は仲間の存在に相当し、〈神輿を担がれる能力〉を意味する。拳にあたる〈テッペン〉は〈(実力行使による)場の統制力〉、すなわち〈場の頂点に立てる腕力〉を意味する。これら両方が満たされることによって立ち現れるのが〈アタマ〉――〈世界を変える力を持つ自己〉だ。
 加えて、〈キング〉と〈テッペン〉の性質の違いについても考えてみよう。〈キング〉はその王座を支える人間がいる限り絶対的なものである。ハイロー文法において、〈神輿を担ぐ〉動機づけとなるのは〈熱いハートと少しの自己開示〉であることに異論はないだろう。〈人間らしい熱い魂〉を持つことこそが〈キング〉の条件なのである。対して、〈テッペン〉は限定された場の中でしか機能しない相対的なものである――村山良樹がコブラに敗北したように。しかしながら、鬼邪高のような限定された場において〈テッペン〉は紛れもなく(場の中における)強さのヒエラルキーの頂点にいる。卓越化のできない強さは〈テッペン〉とは言えないのだ。この点において、外部から見れば相対的な尺度のはずの〈テッペン〉が、その内部から見れば下界との隔絶度合を表す尺度となるという逆説が生じる。〈テッペン〉は、いわば〈クローズドサークルにおける神〉なのである。人間としての〈キング〉、神としての〈テッペン〉。これらを兼ね備えた〈アタマ〉は、〈半神半人の英雄〉なのである。
 この図式で考えれば、轟が〈アタマ〉になれないのは自明だろう。轟の〈神輿を担ぐ〉のは辻と芝マンのみ。誰が見ても〈キング〉の素質には欠ける。また、轟一派のたまり場は放送室である。高校時代に放送部だった筆者の経験から言わせていただくが、放送室はその防音性ゆえに下界の喧騒からは隔絶される。そのくせ、校内放送という手段を独占することで下界への一方通行的なコミュニケーションは可能である。〈半神半人の英雄〉=〈アタマ〉になるためには、あまりにも神の側に寄り過ぎてしまったのである。ゆえに『HiGH&LOW THE WORST』において「Ain’t Afraid To Die」を背に歩いてくる轟の姿は畏怖すべき存在としてまなざされる。圧倒的な暴力はもはや人間離れした美を宿すのだ。
 ここで、上の図式において轟洋介の鏡像となるキャラクターについての話をしよう。高城司である。〈キング〉:×、〈テッペン〉:◎の轟に対し、司は〈キング〉:◯、〈テッペン〉:×といえる(通信簿のような書き方もどうかと思うが)。『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』において、楓士雄の不在という呪縛から脱し、ジャム男たちの友情に報いるため――「司一派」という〈神輿を担がれる覚悟〉を手に入れるため、司は楓士雄とのタイマンに挑む。
 司と〈アタマ〉の資質をめぐることがらにおいて重要なのが村山との問答であり、そこで村山は「ボスとリーダーの違いって知ってる?」、「アタマはね、リーダーじゃなきゃなんねえんだよ」と説く。脚本・平沼紀久の言葉を借りれば、これは「支配するのではなく受け入れるリーダー像」*4についての問答である。言い換えれば、〈ボス〉=「支配」であり、〈リーダー〉=「受け入れる」ことだといえる。しかし、私はここで発想の転換を試みたい。すなわち、〈ボス〉=〈夢を見せる存在〉、〈リーダー〉=〈共に夢を見る存在〉という図式である。
 まずは〈リーダー〉について検討しよう。鬼邪高における最も重要な〈リーダー〉は紛れもなく村山良樹である。『HiGH&LOW 〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜』シーズン2・Episode7-8の回想シーンにおいて、小学生の村山は細い枝を持ち、それをフェンスに引っ掛けながら歩く姿で表象される。細い枝は寄って立つ杖の頼りなさ=何をやっても凡庸だったことの比喩であり、その枝でかすり傷をつけることさえできないフェンスは、そのまま自分と他者の分断としてとらえることができよう。やがて、喧嘩しか取り柄のなかった少年は、鬼邪高で拳100発の荒業に立ち向かうこととなる。それは天に〈与えられなかった〉男の子が拳ひとつで100段の階段を駆け上がる過程であり、拳と拳による非言語的コミュニケーションを果たし〈神輿を担がれる〉に足る〈キング〉の称号を得ると同時に〈テッペン〉という神性を得る過程でもある。半神半人の〈英雄〉へとメタモルフォーゼすることで、村山良樹という〈アタマ〉が誕生する。単なる不良の寄せ集めだった鬼邪高が村山のもとにまとまることで「SWORDの”O”」へと変貌し、SWORD地区をめぐる陰謀に立ち向かっていくさまは、村山良樹という個人と鬼邪高定時という集団が同時に成長していくさまと等価であり、まさに〈共に夢を見る〉さまにほかならない。
 そして、村山良樹に次いで現れた〈リーダー〉が花岡楓士雄である。群雄割拠状態の全日に「ナイスタイミングのカムバック」を果たした楓士雄は、絶望団地出身という人脈や屈託のない性格によって多くの人を巻き込み、牙斗螺から幼馴染を奪還することに成功する。各自思い当たるシーンを心に浮かべていただきたいのだが、楓士雄はとんでもない人たらしである。どのくらいかというと轟がたらし込まれてしまう(後述)くらいである。他人をたらしこみ、自分のペースに巻き込むことにおいて、花岡楓士雄はとんでもない資質を持っている。当然、〈共に夢を見る〉資質に不足はない。まさに新時代の〈リーダー〉である。
 翻って、〈ボス〉について検討してみよう。登場願うのは、もちろん轟洋介である。転校早々辻と芝マンに勝利した轟は、「定時は全日なんて眼中にない」という事実上の敗北宣言に対し、「じゃあ、その腐った眼を潰してやる」と言い放つ。轟のこの言葉が、辻と芝マンにとってのパラダイムシフトであったことは想像に難くない。これを〈夢を見せる〉と言わずになんというのか。轟一派を取り巻く全日の生徒たちからしても、轟は〈全日でも定時と比肩しうる〉という夢を見せてくれる存在ではあるが生徒たち自身はその夢の当事者となることはできない――轟一派は神の位置から全日を睥睨する立場なのだから。全日の、まだ子供である生徒たちが目指すのは轟のいる〈テッペン〉であり、そこにたどり着けなければ大人たちがひしめき合う定時など夢のまた夢なのである。それでは、ほんとうに〈アタマ〉は「リーダーじゃなきゃなんねえ」のか?我々はその答えを、もうすでに知っている。

 
轟洋介という名の見果てぬ夢


 いつの時代も、若人に夢を見るのは年長者の特権である。轟洋介と村山良樹も、その関係性のただ中にいる。別の表現をすれば、それは「啐啄」といえるのかもしれない。「啐啄」とは、「デジタル大辞泉」によればこのような意味合いをもつ言葉だ(なんといらすとやにイラストがあった。こちらから飛べます)。

《「啐」はひなが卵の殻を破って出ようとして鳴く声、「啄」は母鳥が殻をつつき割る音》
禅宗で、導く師家(しけ)と修行者との呼吸がぴたりと合うこと。
2 またとない好機。
「利家も内々かく思ひ寄りし事なれば、―に同じ」〈太閤記・四〉*5

 轟――ひいては轟一派は、放送室という名の殻の中にいる。コミュニケーション不全などという無粋な言葉を使う気はないが、少なくとも圧倒的に自己開示が不足している。彼らが同胞のために八木高に行ったことを一体誰が知っているというのか?〈キング〉になるためには、〈熱いハートと少しの自己開示〉が必要である。「感情NG、情熱OK」*6では足りないのだ。だからこそ、村山は外からその殻をコツコツ、コツコツと叩く。『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』で「今のお前、つまんねーんだもん」と突き放すように告げ、聞き分けの悪い子供をあやすかのように「轟ちゃん、ちゃんと、周り、見ようよ」と諭す(轟からすればとんでもない煽りに思えただろうが)。
 ここでひとつ注意してほしいことが、『HiGH&LOW 〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜』シーズン2・Episode8において、村山が轟を過去の自分にオーバーラップさせていたことだ。「轟、そのうちオメーにもわかるよ」と語られたように、村山は轟を〈アタマ〉に比肩しうるものとして位置付けている。すなわち、村山の中で轟は予見的に〈キング〉の要素を持つものなのだ。『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』における全日ステークスの一連の流れを見る限りでも、村山が轟にかけていた期待は明白である。
 したがって、村山に轟をまるまる否定する意図は(おそらく)ないだろう。加えて、轟も単なる閉じた人間ではない。轟の問題は〈適応〉の問題でもある。〈仲間と熱き魂を交わす〉というハイロー文法のないところでは、〈アタマ〉=〈キング〉+〈テッペン〉の図式が成立する保証はない。実力主義の場では、(〈キング〉になれなかったとしても)轟が〈アタマ〉になりうる可能性もあるからだ。しかし、轟は鬼邪高に来、村山良樹への敗北という手痛い一撃を食らってしまった。村山に執着する轟からは、どこか焦燥感めいたものを感じる。「自分を倒したこの男に勝つことでしか自分の呪いは解消されない」という思いに取り憑かれた轟は、同時に村山のいる鬼邪高という磁場に取り憑かれてもいる。鬼邪高から離れられないからこそ、轟にとって(鬼邪高という)世界を変えることは難く、自分を変える方が(じつは)容易いのである。
 だが、外から叩くだけでは、轟のあまりに強固な自意識の殻は割れない。「何せ轟はプライドとナルシシズムが入り組んだヤヤコシイ男」なのだから。殻を破ろうとする内なる意思こそ、最終的な決め手となる。その意思を招く〈気づき〉が、花岡楓士雄であった。『HiGH&LOW THE WORST』パンフレットより、轟洋介役・前田公輝のインタビューを引用しよう。

まさに村山が言う「お前にはないもん、あいつは持ってるかもな」ですよね。その一言があって、ずっと村山に執着していた轟のベクトルが楓士雄に向かう。で、すべてに直球な楓士雄と接していると、今まで頭で考えていたことがバカらしくなったんじゃないかと思うんですね。本来は簡単なことなんですけど、何せ轟はプライドとナルシシズムが入り組んだヤヤコシイ男でもあるので(笑)。そこに風穴を開けてくれたのが村山の助言であり、楓士雄の存在だったんだと思います*7

 村山良樹と花岡楓士雄――このふたつのピースが揃ったとき、ようやく啐啄は実を結び、轟は〈キング〉と〈リーダー〉にひとつ近づき、責務は果たしたとばかりに村山は鬼邪高を去る。轟と村山のタイマンは、結局村山の勝ち逃げで終わる。ふたりの追いかけっこは永遠に終わらない。もしくは「ここまで上がってこいよ」と手招きする身振りか。
 先述のように〈ボス〉=〈夢を見せる存在〉とすれば、轟洋介はなんらかの夢を見せている。村山と楓士雄によって〈リーダー〉=〈共に夢を見る存在〉へと近づいたにせよ、私は(そしておそらく我々は)まだ〈ボス〉が見せた夢から覚めないでいる。ゆえに、〈世界は轟洋介の夢をみる〉。その夢は〈全日のアタマという未完の王座を希求する夢〉、〈アタマになる轟洋介の姿を見る夢〉、〈轟洋介の言う「行くぞテメェら」を聞く夢〉――なんとでも言えるだろう。ともかく、私は轟洋介こそが〈キング〉であると信じて疑っていない。〈ボス〉であろうとも〈リーダー〉であろうとも私が轟洋介に魅入ってしまったことは事実だし、だからこそ私にとっての〈キング〉であり、〈アタマ〉を継承する資格を持つ男なのである。神輿の担ぎ手が誰もいなくとも、私はその担ぎ手であり続けるし、あり続けたい。〈テッペン〉と〈キング〉を兼ね備えた轟洋介が真の〈全日のアタマ〉となり、世界を不可逆的に作り変えてしまう光景――「いつか」来るかもしれない成就の瞬間を待ちながら、私はテクストを読み解き続ける。常盤ソウゴが初めて仮面ライダージオウに変身した瞬間、ウォズ――ソウゴがオーマジオウになるまでの歴史書『逢魔降臨歴』を持つ預言者である――はこう言った、「祝え!」。ウォズにとって常盤ソウゴが魔王になるのは規定事項であり、ゆえに初変身は覇道への記念すべき第一歩なのである。私(もしくは我々)にとっても轟洋介が〈全日のアタマ〉になるのは規定事項であり、ゆえに『HiGH&LOW THE WORST』という物語――轟洋介が自我を獲得するプロセス――は覇道への記念すべき第一歩である。だから私もこう言おう、「祝え!」。『HiGH&LOW THE WORST』後、鬼邪高にいた彼らがどこへ向かうのかはわからない。ただ、鬼邪高の校舎に舞う紙吹雪は鬼邪高というネバーランドへの祝福であり、新たな旅立ちへの言祝ぎでもあればいいな、と思う。今日もまた、醒めない夢の中から、電子の海を介して私は祈りを送信し続ける。

 

 

 

 

*1:『HiGH&LOW THE WORST』パンフレット、松竹株式会社 事業推進部、2019。

*2:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』パンフレット、東映 事業推進部、2019。

*3:仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』を仮面ライダーゼロワン/飛電或人の目線から見れば、ゼロワンという「新時代の1号」が、他でもない彼自身の「夢に向かって飛」ぶ過程を描いたものといえる。ゆえに、飛電或人が〈継承される〉立場であることに疑問を呈する向きもあるだろう。ただし、この場合における〈継承〉はメタ構造としてのものである。平成ライダーの終着点としてメタ構造をふんだんに織り込まれた〈平成の擬人化〉ともいえるジオウと、『仮面ライダーゼロワン』という物語の登場人物の主人公にすぎないゼロワンの間には、メタ構造の有無という点で大きな隔たりがあり、それぞれのリアリティの所在に微妙なズレが生じているといえよう。よって、ゼロワンにおける「夢」の概念はあくまで『仮面ライダーゼロワン』という物語の内側にのみ想起されるものであり、ジオウ/ゼロワン間の〈継承〉はメタ構造として保持される。

*4:大谷隆之、2019、「平沼紀久[脚本&プロデューサー]」『キネマ旬報NEXT Vol.18』、45-6。

*5:「啐啄」『デジタル大辞泉』(2020年3月19日取得、

https://kotobank.jp/word/%E5%95%90%E5%95%84-554683)。

*6:『duet』2016年8月号、集英社、136。

*7:『HiGH&LOW THE WORST』パンフレット、松竹株式会社 事業推進部、2019。

『HiGH&LOW THE WORST』を観たオタクがLDHのカウントダウンライブに行ったら全身にLove, Dream, Happinessを浴びて最高になった話

あけましておめでとうございます。
本年も弊ブログをよろしくお願いいたします。今年は去年よりマメに更新したい…


ということで行ってきました2019年現場納めにして2020年現場始め、LDHカウントダウンライブ(のライブビューイング)。

chiriterrier.hatenablog.com

にも書いた通り、ハイローに狂っていたらいつのまにか年の瀬を迎えていた。
今更ながら説明しておくと、「ハイロー」こと「HiGH&LOW」プロジェクトの母体はLDH。わかりやすく言えば、EXILEや三代目の元締めのような存在だ。嵐とジャニーズの関係といえばお分かりいただけるだろうか。
LDH所属タレントが多く出演し、ここぞの場面で所属アーティストの楽曲(しかもめちゃくちゃ格好良い)が流れるコンテンツを摂取していれば、その母船も気になってしまうのがオタクの性。
そんなとき、LDHのカウントダウンライブのライブビューイングを知り、気づいたら抽選の申し込みが完了していた。

 

正直に告白すると、ハイローのキャスト陣以外は顔と名前が一致しているかも怪しい。お恥ずかしい話である。
まあそれでもEXILEや三代目、EXILE THE SECONDあたりは割とメンバーもわかる。
EXILEに関しては多少ならヒット曲もわかる。好きな曲は中1のころ一緒に登校していた子に聴かされた「SUMMER TIME LOVE」。
一応THE RAMPAGE from EXILE TRIBEに関しては先日の横アリに備えて『THE RIOT』あたりは聴いていたのだが、他のグループに関してはほぼ完全初見。
さすがに焦ってApple Music謹製「はじめての三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」プレイリストを聴いたのだが、


カウントダウンライブ前日にこんなツイートをしているのだから推して知るべきである。ちなみに「Rat-tat-tat」はばっちりわかった。ありがとう年末特番。


そんなわけでミリしら状態で迎えたカウントダウンライブ。
結論から言えば、こうなった。

 

実際MAKIDAIさんMATSUさんUSAさんが出てきた瞬間「パフォーマー引退した人たちだ!レア!」と思ったし3人の顔と名前が奇跡的に一致していたことにもテンションが上がった。

からのTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEである。しかも一発目が「SWAG&PRIDE」である。イントロのフレーズをめちゃめちゃ引っ張ってからの登場である。もうこれは開幕優勝。
「長丁場!記憶が保たねえ!」と思ったや否や、スッカスカのカバンの中を引っ掻き回して筆記用具を発掘した。
これがもうものすごい幸福感だった。先日の横アリのおかげで「Fandango」がわかったし「Move the World」も「WELCOME 2 PARADISE」も大好きだからほんとにほんとに嬉しかった。
あと「WELCOME 2 PARADISE」で壱馬くんがカメラに向かって投げキスしてて全私が死んだ。北ちゃんはいつにも増して神作画で貴公子だったし龍ちゃんはシルバニアファミリー。そして昂秀くんはずーっとかわいかった。かわいすぎて今ザゲで辻育成してる。
めちゃめちゃ綺麗な顔してた人は藤原樹さんとおっしゃるのですね。把握。そのうちプリレジェも観ないとな…『貴族誕生』の最終話怖くて観られてない…サンマルチノどうなってしまうん…
追加公演のSSAはなんとかして行きたいですね。

 

BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBEは曲がハードめで良かったうえにメンバーもみんなハイロー向きだと思うので一刻も早くハイローに出て欲しい。
FANTASTICS from EXILE TRIBE佐藤大樹くんがめちゃめちゃキラキラしてて笑ってしまった。レモンサワー打ち上げの進行もかわいかったです。DTCって中の人になると途端にめっちゃめちゃかっこいい兄ちゃんだよな…あと個人のダンスパート(通じて)で最後に踊ってた人がめっちゃ上手いなと思いました。
DEEP SQUADはぜんぜん存じ上げないんですけど一人ものすごく綺麗な人がいてびっくりした。
DOBERMAN INFINITYは完全に予想外だったのでぶったまげましたねこいついつもサプライズDIで腰抜かしてんなTwitterでバズってた死神みたいな人把握しました。
Faisは唯一のハイロー曲だったはずなんだが記憶が完全に飛んだ。理由は下のツイートを見て欲しい。


サプライズでMIYAVIて!!!!!!!インスタの投稿で家族でスキーしてたじゃねえか!!!!!!!
前フリの映像で「No Sleep Till Tokyo」のイントロが流れてきたときに全てを察して「えっほんと?やったー!」と叫んでしまったほどである。
7年ほどヴィジュアル系のオタクをやっている割に実は雅もMIYAVIもロクに通っておらず、高校時代「Justice」と「The Others」が好きだったなあくらいの付き合いしかないのでLDH移籍の報を聞いてからの方がむしろよく聴いているくらいなのだが、それでもめちゃめちゃに泣いてしまった。
なんで泣いているかもよくわからなかったし、今思い返しても何の涙だったのかよくわからないのだけど、とにかく「MIYAVIありがとう…ありがとう…」と思いながら泣いていた。
上のメモに書いていたことが全てだと思う、「ヴィジュアル系がすきで、ハイローがすきでほんとによかった」。
もちろんSHOKICHIさんもかっこよかったです。生「アレチノハテェ…」聴きたかったな… 京さんとの対談が載ってる雑誌買わなきゃな…いやそもそも二人のコラボ曲が入ってる音源まだ買ってなかったな…

 

ここまででメモ2枚分を費やした。
お次は三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE
これは予習しててよかった〜〜!!!!!!!聴いたことのある曲がちゃんとあって安心しました、なんかハンドサインみたいなやつをするのがお決まりなんですね。
結構見慣れたメンバーが多いわメンバー同士の絡みも多いわで観てて楽しかったです。直己さんがめっちゃセクシー。あとがんちゃんがひたすらに王子だしカメラアピールも外さないしで感動した。貴公子じゃん。

 

でついに本丸のEXILE。このあたりから脳内麻薬がドバドバに出ていた気がする。
ハイローのオタクとしてはAKIRAさんがニコニコしているだけでなんか嬉しかったです。
「I Wish For You」の多幸感がものすごかった。がんちゃんとケンチさんがカメラに向かって「I Wish For You」ってやってたのはマジでずるい。超どうでもいいけどこの曲中学の創作ダンスの発表で使ったのを聴くまで完全に忘れてた
ここでついに「もうこれ人生の走馬灯にしてくれ」の文字がメモに躍り出す。

 

EXILE THE SECONDは「大人の余裕と色気がすごい」これに尽きた。観ていて安心する。
EXILEのときも思ったけどねっさんの声質が好きです。
でランペとの共演がマジで「「「良」」」だった。AKIRAさんが壱馬くんや北ちゃんに構ってるのがさ〜〜文脈なんだわ〜〜
ホールツアー行きてえ。

ここからがCDTV生中継枠。
さっき散々踊ったのにがんちゃんがあまりにも乱れてなさすぎて感動したしおディーン様との絡みがかわいくてほっこりした。
あと直己さんの首がめっちゃゴツくてびっくりしたんですけどこれ全身どうなってるんですか…?
「Rising Sun」の曲フリが「ラスト日の出」かなんかでちょっと笑った。
このへんのメモは曲タイしか書いてないので「Rising Sun」〜「Choo Choo TRAIN」〜「R.Y.U.S.E.I.」のヒット曲3連発で完全に昇天していたのだと思う。つくづくいい年越しだった。

 

アンコールで「EXILE公式レモンサワー」の報を聞いたときは爆笑してしまったがフタを開けてみると「Ki・mi・ni・mu・chu」がひたすらにみんなかわいかったので最高でした。
MVP、「2020」メガネ。

 


というわけでカウントダウンライブは終わり、終夜運行の電車に揺られて帰った。
4時間近くの間、ただただ全身にLove, Dream, Happinessを浴びた。恐ろしいほどの多幸感。
これが最高ということなのか、なんという宗教、きらめきとはこのことか。
思い出しても胸に暖かいものが灯る。この光をもっと観たい、そして共に導かれたい。そう思った。
2019年、いろいろあったが兎にも角にも最高の現場納めになった。2020年もきっと良い一年になるだろう。

2019年のオタク活動をふりかえる

早いもので大晦日ですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

毎年恒例の年末音源レビューから趣を変え、今年は現場のまとめ、もとい2019年のオタク活動所感といってみましょう。

それでは、2019年現場一覧、ドンッ。


1/2 ジオウ×ビルドショー @ひらかたパーク
1/4 the god and death stars @アメ村CLAPPER
1/5 the god and death stars @今池GROW
1/23 超英雄祭 @日本武道館
1/26 Vシネクローズ舞台挨拶 @新宿バルト9
1/27 武田航平ナイト @新宿バルト9
2/26 Pale Waves @umeda TRAD
3/14 結木滉星一日署長イベント @下京区
3/16 摩天楼オペラ @奈良NEVERLAND
4/13 密林特撮学校 @池袋JUNGLE
4/13 健人の部屋 @eplus リビングルームカフェ&ダイニング
4/28 密林特撮学校 @ラジオ会館
4/28 ALL DEAD DIES FES2019 @YOKOHAMA 7thAVENUE
5/3 ジオウイベント―魔王の宴― @飛天の間
5/4 ジオウイベント―救世主の宴― @飛天の間
5/5 龍騎ナイト @飛天の間
6/30 白倉P&武部Pトークショー @映画村
8/9 ゴ田澤トライアル @アメ村CLAPPER
9/8 Vシネグリス舞台挨拶 @Tジョイ京都
9/9 deadman復活ワンマン @恵比寿LIQUIDROOM
9/26 間瀬41歳 @青山RizM
9/29 ジオウファイナルステージ @オリックス劇場
10/9 ノベンバ×Boris @梅田シャングリラ
10/13 ジオウFSスペシャル @中野サンプラザ
10/14 ジオウ×ディケイド ×2 @よみラン
10/23 NODAMAP『Q』@新歌舞伎座
10/26 HE-LOW2イベ @シネマート心斎橋
10/27 ゼロワン×ディケイド×2 @ひらパー
11/2 『ラヴズレイバーズロスト』 @兵庫県立芸術文化センター
12/22 令ジェネ舞台挨拶 @Tジョイ京都
12/26 ザワ応援上映+ランペライブ @横アリ
12/31 LDHカウコンライビュ @TOHOシネマズなんば


計34現場。去年と比べるとまあまあ増えた気がしていたが、確認すると去年は28現場だったのでまあ微増といったところ。
上半期までの現場は

chiriterrier.hatenablog.com

でまとめたが、こうして並べてみるとあまりにも趣味がわかりやすすぎて驚く。


2019年は本当にオタク人生総決算のような一年だった。
2009年の私が愛して止まなかった通りすがりの仮面ライダーたちが令和になっても通りすがり、2009年の私が愛して止まなかった嵐が活動休止を発表した。
思えば、2009年にオタクに目覚めて以来、テン年代の私は10年間をまるまるオタクとして駆け抜けたことになる。


一昨年の私は「間瀬ギャになるなんて完全に予想外だった…」と言った。
去年の私は「仮面ライダーに出戻るなんて完全に予想外だった…」と言った。
今年の私は何を言えばいいのだろう、もちろん、「ハイローとヒプマイにハマるなんて完全に予想外だった…」だ。

 

事の経緯はこちらのツイートをご覧いただければだいたいわかっていただけると思う。

 まあそういうことです。

 

仮面ライダージオウ』ファイナルステージの日程が発表される前から、当然のように複数会場積もうと思っていた。去年の『ビルド』のファイナルステージが台風で中止となっていたからだ。
「まあとりあえず近場の大阪は行くとして、千秋楽がスペシャルバージョンか、よし東京遠征だ」とチケットを確保していたところに、天啓がやってきたのである。
よみうりランドで行われるヒーローショー――私の愛して止まない仮面ライダーディケイドが10年越しの強化形態を引っさげてやってくるショー――が、千秋楽の翌日だったのである。
こうなるともちろん泊まりがけ遠征が確定だ。交通費を抑えるため、帰りは夜行バスになる。
そこで、大きな問題が持ち上がった。ヒーローショーが終わってからバスの時間まで圧倒的に暇なのだ。しかもその日はめぼしいライブもない。
そんなところに再びの天啓がやってくる。

 
これが上2〜3つ目のツイートにつながる。
「ヒーローショー観た後にハイローコラボで遊べば解決じゃん!よしハイロー観よ!」ということだ。
まあ仮面ライダーのオタクなので「武田航平と佐野岳が出てる」程度の知識はあったし、「なにやらアクションもストーリーもすごいらしい」という噂は聞いていた。
こうなれば話は早い。huluに課金だ。
10月2日に『HiGH&LOW THE MOVIE』を観た瞬間、誇張抜きに「こんなに面白いものがあるのか」と思った。
記憶が曖昧だが始まって5分ぐらいのところで泣いていた気がする。あまりにも画として格好良すぎて。
初めて『HiGH&LOW ORIGINAL BEST ALBUM』を聴いた日は、自分がなんだか強くなった気がした。

そして10月13日。ファイナルステージの千秋楽が終わり、ライダーたちとの握手会も終えた私は、夜の新宿をダッシュしていた。
ついに『HiGH&LOW THE WORST(通称ザワ)』を観るのだ。
観た後の私がどうなっていたのかは、上のツイートを観ていただければ容易に察しがつくと思う。

結局、その後ザワは4回観た。横浜アリーナ応援上映にも行ったので計6回観た。でもまだ足りねぇ。
推しは村山さんと轟ちゃんなのでそのうち横アリの感想と合わせてお気持ち長文書きます。書く書く詐欺と化してるけど書きます。

そんなこんなでハイローにどっぷり浸かっているうちに11月になった。
「ハイローの曲かっこいいしヒップホップdigってみたいなあでもようわからんなあ」と思っていたところ、信用のできるフォロワーと観劇することになった。
開演前にアニメイトに寄ったら、フォロワーがどついたれ本舗の音源を買っていた。
ヒプノシスマイク(以下ヒプマイ)自体は去年から知っていた。去年の11月に祖母が亡くなったときにも葬式帰りに従姉妹から布教されたし、バンギャの友人からも布教されていた。
そこに私が全幅の信頼を置くフォロワーからのトドメだ。外堀は完全に埋まった。

というわけで現在、ハイローとヒプマイに骨まで浸かりながらこのブログを書いている。
今からLDHのカウントダウンのライブビューイングに行ってくるし(まだ化粧してねえ!やべえ!)、「ももいろ歌合戦リアタイできねえじゃんチクショウ!Creepy Nutsのあゝオオサカdreamin’night聴きてえ!」と思っている。

なんだか不思議な一年だった。
ハイローにハマったと思ったらMIYAVIがLDH移籍だし。
ヒプマイにはV系バンドマンが登場したし。
「世界が広がった」と思っていたら、世界の方からぎゅんぎゅん近づいてくる。
大好きなものがたくさんあるこの世界が愛おしくてたまらないし、好きなものや人を追いかけているときのきらめき、それが私にとっては何よりも大切なものだということが、より鮮明に、重さと輪郭を伴ってはっきりとしてきた一年だった。

上半期、ひたすら仮面ライダーのために飛び回っていたと思えば今やハイローからLDH関連まで。
今年の正月は「週2で間瀬!w」とキャッキャしていたのに年末には「週2でLDH!w」になるとは思っていなかった。
来年はどんな「予想外」に出会えるのか。
また一年、好きなものを大切にしながら生きていこう。

 

 

 


毎年現場の目標立ててるんですけど今年の目標完全に忘れたこまった 多分達成したから忘れてるんだと思うので「観劇する」とかかなあ
来年の目標どうしよう…「LDH関連のコンサートに行く」?「観劇を増やす」?
あとは来年のヒプマイ行けたらいいな。ヒプステも観たいけどチケ代は据え置きなんですかね…?

13年越しの邂逅 ーdeadman oneman live2019 -before the dawn-

deadman oneman live2019 -before the dawn-

2019年9月9日

恵比寿LIQUIDROOM

 

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deadmanを初めて聴いたのは高2とか、高3とかまあその辺りだった気がする。4~5年前の話だ。


当時なんのSNSもやっていなかった私は、まとめサイト巡回で音楽の知識を仕入れていた。(これ改めて言うとなんか恥ずかしいな…)(「みるとべ」があった時代が懐かしい)


ヴィジュアル系関連のまとめ記事を読んでいくうちにやたらと目にするようになったのが、「follow the night light」のPVのサムネだ。

なんとなく気にはなって音源を入手してみたが、当時はあまりしっくりこなかった。「地味すぎる」とさえ思っていた。

まあそれでも「follow the night light」や「lunch box」は気に入っていたらしい。バンギャ黒歴史あるある「昼の放送でV系を流す」のラインナップの中に、「lunch box」が入っている。

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しかし、一昨年になるとその評価は一変する。Merry Go Roundつながりでgibkiy gibkiy gibkiyを観に行き、さらに9GORTS BLACK OUTつながりでKEELのチケットを取り、そこにダメ押しのように第3期DECAYSのメンバー発表があった。

もはや間瀬ギャにならないわけがない。


そうなると、もちろんaie氏の歴代バンドの音源を聴き直すことになる。Lamielやkeinも聴いた。

そして、deadmanを再び聴くことになるのだ。

結果として、当然のようにハマった。高校生の自分には分からなかった良さに次々と気づく。正直、「なんでもっと早く気付けなかったんだ」と思った。しかし、どうあがいたってラストライブのとき私は7歳なのだ。さすがに7歳児の私にdeadmanの良さを分かれというのは無理がある。

まあそんなわけで、deadmanはもう一生観られないと思っていた。気持ち的にはフレディ・マーキュリー存命時のQueenぐらい観られないものだと思っていた。

 


そんなことを思っているうちに2019年になった。

そして訪れた3月22日。

lynch.の公式LINEから来た通知を見て文字通りひっくり返った。

deadmanがワンマンライブを行う。

嬉しくて、嬉しくて、馬鹿みたいに笑った後、この顛末を母に話しているとこれまた馬鹿みたいに泣いてしまった。


6月に行われた3マンこそ行けなかったが、今日は台風にも負けずに行くことができた。

ここまでが長い長い前置きだ。

 

 

ライブが始まったら絶対泣くだろうと思っていた。

しかし、一滴の涙も出なかった。

それどころか、さも「前から行ってました」と言わんばかりに全力で頭を振り、メンバーの名前を叫んでいた。まるでいつもの続きのように。


先月ぶりに観るaieさんはびっくりするほどいつものaieさんだった。ギターの音はいつもよりもソリッドだったけれども、弾き方もコーラスの声も、もはや安心するほどいつも通りだった。

初めて観る眞呼様は思っていたよりよっぽど朗らかだった。あの真っ直ぐな歌い方はそのままに、ブランクを微塵も感じさせない艶やかを増した声が響いていた。


deadmanを音源の中でしか知らなかった頃は、「闇の中に光を探す」のがdeadmanの音楽だと思っていた。

だが、今日は光に満ちていた。じんわりとした暖かさと祝福が満ちる中、光も闇も全て包み込み、肯定し、昇華する音楽がそこにあった。


血の通った暖かさがあり、無機質でもなくなった屍。

死人に暖かさを取り戻したのは、13年という年月か。はたまた別の何かか。

ともかく、2019年の僕らはdeadmanとともにある。ここから1年、走り抜けた先にはどんな光が見つかるのだろうか。

 

 

 

 

 

「聖者ノ行進」が聴きたいですね・・・。

「平成」という名のいびつな、美しき祝祭––『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』感想

 

P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~

P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~

  • provided courtesy of iTunes

 

今日からちょうど1年前。2018年7月26日、何をしていたか覚えているだろうか?
その日に発表された作品こそ、『仮面ライダージオウ』。平成仮面ライダー20周年記念作品にして、平成最後のライダーである。

Twitterでその報せを受けた私は、キービジュアルにやけに大きく写っているディケイドの姿に目が止まった。『ディケイド』、『ジオウ』、『オーズ』、『ビルド』、『龍騎』、『剣』、『555』、『カブト』…視聴、視聴、また視聴。平成ライダーを追いかける生活の幕が開いた。
Twitterでもこのブログでも散々話してきたことなので、もう今更触れることでもないだろう。『平成ジェネレーションズFOREVER』を観たときに感じたことは、今も変わらずここにある。

 

chiriterrier.hatenablog.com

 

 

思い返せば、『ジオウ』が始まってからはまさにジェットコースターの如くめまぐるしい感情の中にいた。
過去作の世界を生き、考察に悶え、レジェンド出演に笑い、東京くんだりまでイベントに赴く熱狂…まだこの渦の中にいるにもかかわらず、息がつまるような、思わず涙ぐんでしまうような愛おしさに溢れた毎日を送っていた。

その『ジオウ』が、終わる。
平成9年生まれの私を育んだ平成という時代はとうに終わった。
そう、「平成ライダー」にも幕を引かなければならない。『クウガ』〜『カブト』をリアルタイムで観ながら大きくなり、『ディケイド』『W』で再会し、『ジオウ』でまたまた共に歩むことになった平成ライダーが、ついに終わってしまう。

そんな中、「『ジオウ』真の最終回」と銘打たれた『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が公開された。
もちろん、向かうは初日最速上映。
『ジオウ』の帰結、サプライズのレジェンド出演。どこまでも膨れ上がる期待を胸に、眠い目をこすりながら映画館にたどり着いた。

 

 

※以下、『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』本編のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

 

 


正直、ファーストインプレッションは困惑の方が強かった。
なのになぜか泣いている。めちゃくちゃ泣いている。終了後にメガネを見たら涙の塩分でフレームがカピカピになっていた。

映画館の座席を立ちながら、思わず叫びたくなった。
「おのれ白倉伸一郎ォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!」

『ディケイド』ですらここまでメタに振り切った脚本はあっただろうか?
「平成」という混沌を見事に昇華し、メタとして笑い飛ばす。
「平成」の残滓は、「令和」の使者であるゼロワンに完膚なきまでに叩き潰された。

『平成ジェネレーションズFOREVER』では、フィクションの産物たる仮面ライダーが人々の記憶によって生命を吹き込まれるという過程を示した。
「常盤SOUGO」の替え玉である「常盤ソウゴ」が真の王となるべくオーマフォームに変身する姿は、フィクションが起こした現実への反逆にほかならない。

そもそも、クォーツァーが変身するバールクス、ゾンジス、パールクス自体、「平成ライダー」という集合的記憶から疎外された存在からのしっぺ返しといえるだろう。
平成という時代を「醜くないか?」と言い、時代そのものの改変を試みるクォーツァー。
そう、平成という時代は決して美しい時代ではなかった。「失われた20年」から始まり、さまざまな苦難が襲いかかった。昭和のようにそれをノスタルジーで包み、美化するにはいささか早すぎる。

しかし、その混沌とした「平成」、我々とそして平成ライダーたちがもがきながらも駆け抜けてきたその軌跡、それそのものを常盤ソウゴは肯定する。
「好きに生きた」ことそのものが「平成」という時代なのだ。

それを今回もっとも良く体現していたのがウォズだろう。
物語の水先案内人にして、メタ要素を一手に引き受ける語り手。彼の存在自体、『ジオウ』という番組の「そと」にいるのだ。
しかし、ウォズはSOUGOに「自分もまた仮面ライダーになった」と言う。「自分は仮面ライダーである」≒「〈いま・ここ〉は自分自身が生きる世界である」そう認識したのである。彼は『ジオウ』の物語の「うち」にやってきたのだ。
メタ要員としての存在を超えた自律性を獲得したウォズが逢魔降臨暦を破り捨て、「未来は予想がつかない」と高らかに宣言した。
リボルケインで刺された、または存在が消滅したにも関わらずいつのまにか帰還しているウォズ、ゲイツツクヨミ
いわばご都合主義的な帰還自体、「彼らが物語の構造として世界に必要とされているから」という証左にほかならない。
しかしそれだけではないのだ。彼らはただの構造ではない。〈いま・ここ〉に根を張った、自律性のある構造だからこそ帰還できたのだ。
人の記憶さえあれば、案外簡単に還ってこられる。この意味で、ウォズが『MOVIE大戦2010』の門矢士に思えてならない。

繰り返すが、フィクションだからこそ持てる力がある。
人の記憶に存在を依拠するからこそ、願えば叶う。思いもしない「向こう側」に辿り着くことができる。
本作でも、漫画本から、町に貼られたポスターから、タブレットの中から、予想もしないライダーたちが飛び出してきた。
平成ライダー」という紛れも無いフィクションをメタの視点から描きだす、その美しさ、強さ、希望がそこにある。
我々が忘れなければ、きっとまた会える。
令和の夏の映画に「平成」と書かれた攻撃を通すぐらいなのだから。

かくして、我々の平成は終わった。
『ジオウ』本編が最終回を迎えたとき、「平成ライダー」もまた終わりを告げる。
最後の祝砲として、これよりド派手な花火はないだろう。
さあ、令和へ。予想もつかない未来が、そこには広がっているのだから。

 

 

 

 

 


平成生まれに聞きたいんですけど仮面ノリダー分かりました???私まずこのおじさん誰?あっ木梨憲武!…ってのは分かったんだけどなんで劇場のみんなこんな笑ってるの???このノリさん何のノリさん???って感じでした

「ふるさと」という呪いー帰る場所はどこにもあってどこにもないということ、または「東京」への郷愁

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一週間前に撮った風景。夏ですね

 

22年前、母の実家近くの病院で私は産まれた。
東京や千葉での暮らしを経て、3〜4歳ごろには母の実家で暮らした。近くに住んでいた大叔父と手を繋いで買いに行った『おともだち』や『たのしい幼稚園』は、今も自室の本棚に並んでいる。

私が幼稚園に入るとき、我々家族は奈良に引っ越した。教育熱心な母がひとり娘の将来を思いやってのことだったようだ。しかしながら、祖母や親戚にかわいがられ楽しく暮らしていた大阪を離れるのはやはり違和感があったのだろう。奈良に住み始めた当時、身の回りの風景が「にせもの」に見えたことを覚えている。
それでも、子供の適応力は恐ろしいもので、小3の頃にはちゃっかりご当地検定まで受験していた。名実ともに奈良がふるさとになったのだ。

 

それから少し経ち、中学受験でなんとか京都市のはずれにある中学にすべりこんだ私のために再び我が家は引っ越しをした。住んでいるのは奈良県のままだったが、小学校時代の友人とは地理的に引き離されてしまう。またしても、私は知らない街に住むことになったのだ。
中学〜高校時代は、私自身真面目だったことが手伝い、部活が終わるとすぐに家に帰り、家ではひたすら本を読んだり音楽を聴いたりして過ごす毎日を送っていた。学校も家も「通過点」にすぎず、「ふるさと」のような帰属意識はほとんどなかったに等しい。

 

こんな状況が変わったのは、大学入学前後のことだ。大学受験を終え、弛みに弛みきった身体をなんとかせねばいかんと人生初のダイエットを始めた。ダイエットといっても近所を数時間散歩するだけだったが、毎日続けていると15kgほど痩せることに成功した。いつしか、痩せることよりも近所を散歩することの方が目的となった。家↔︎学校の往復しか歩いてこなかった私にとって、近所の道を歩くのはささやかな楽しみだったのだ。季節に応じて顔を変える田舎道。それが、私の新たな「ふるさと」になった。

 

大学の話をしよう。私が行っていた高校は出身中学の附属だったので、中学〜高校とほとんど同じ場所だった。私の大学はそこから少し離れるが(森見登美彦氏の小説に出てくる大学といえばだいたいお分かりだろう)、同じく京都市のはずれ。私が今大学4回生なので、かれこれ10年は京都市で学生をやっている計算だ。学生が多いという地理的要因も手伝ってか、私の大学のある地域は独特な雰囲気のある喫茶店や居酒屋が多い…「そうだ」。
何を隠そう、私の標準的な一日のスケジュールは、中学〜高校時代とほとんど変わりない。京都の大学に講義を受けに行き、終わり次第奈良の自宅へ帰る。これでは、どれだけ周りに店があろうと詳しくなりようがないのだ。もちろんサークルの集まりがあったり友人と遊んだりもするが、そもそもそれ自体、精神的ひきこもりである私にとってはかなりのレアケースなのだ。
それでも、空きコマをぬって大学の近所を散策することはあった。化粧をしなくとも、着飾らなくとも呼吸ができるまち。鴨川沿いのどことなく弛緩した暖かい空気は、もはや私の一部だ。

 

先ほども書いたが、私は今大学4回生だ。大学院の入試に向けた勉強を放っぽり出してこの文章を書いている。空いた時間は極力勉強に費やす生活も、辛さが完全に勝るがそんなに悪いものでもないと思っている。学生の本分は勉強なんだし、これまで散々勉強サボってきたんだし。


このブログの過去の記事を読んでいただければ分かる通り、大学入学以降の私はヴィジュアル系バンドのライブに通う毎日を送っていた。去年からは平成ライダーにもハマり、オタクとしてはそれなりに忙しい毎日を送っているのだ。

chiriterrier.hatenablog.com 
しかし、試験勉強に追われる今となってはそんなに足繁く現場通いもできない。もともとそんなに現場数が多い方ではなかったが、そもそもバイト時間を減らして勉強しているのだから現場に費やす金がないのだ。


今や試験勉強のために家と学校を往復するだけの毎日となってしまった私をかきたてるのは、「帰りたい」という強烈な思いだった。

どこに?大阪に?違う。あの家に住んでいた祖母は去年亡くなった。そもそもあそこはもう「おばあちゃんの家」という認識だ。「帰る場所」ではない。
じゃあ奈良に?まさか。いつもの田舎道に行きたければ散歩すればいいだけの話だ。
京都に?違う。大学には週に何度も行っているのだからわざわざ「帰る」必要もない。


私が「帰りたい」のは、バスタ新宿のやたらと狭く、混み合った夜行バスの待合所。いつまで経っても正しい出口にたどり着けない新宿駅。東京駅のやたらと広い駅構内。ドブみたいな臭いがする池袋。平成ライダーのロケ地巡りで行った浮間舟渡の公園、さいたまスーパーアリーナ

ぜんぶぜんぶ、ライブやイベントのために行った場所だ。初めて東京に「遠征」してから1年も経ってないし、行った回数も10回強。日数で換算すれば2週間程度だ。
東京など、遠征のために行く場所で特に観光をするわけでもない。住むだけなら奈良で充分だし、むしろ東京など住みたくないぐらいだ。イオンモールとネット通販さえあればたいがいのものは揃うし、奈良には空を切り裂く高層ビルの圧迫感はない。度を超した通勤ラッシュに巻き込まれることもない。

月に1回程度しか行っていない東京に、住みたくもないのに、なぜ「帰りたい」のか。
私にとっての「東京」は、夜行バスを待ちながらバスタ新宿にあるファミマで買ったアイスを齧ること、消灯前の夜行バスでcali≠gariの「東京、40時29分59秒」を聴くこと、観光地価格で買えたもんじゃない中古のおもちゃを探して秋葉原を徘徊すること、平成ライダーのロケ地を探して西武新宿線の駅めぐりをすること。
アイデンティティが行き着く象徴としての「東京」だ。現在の私を形作るもの、私が愛したもの、それがあるのが「東京」なのだ。

思えば、今年に入ってよく聴いたアルバム、THE NOVEMBERSの「ANGELS」も、King Gnuの「Tokyo Rendez-Vous」も、椎名林檎の「三毒史」も、サカナクションの「834.194」も、「東京」が息づいたアルバムだった。望めば、「東京」は耳の中からやってくる。それでも私は「帰りたい」。私が望んだあのまちに。

 

大阪にも奈良にも京都にも根を張らずに生きてきた私は、社会学の用語でいうところの「マージナル・マン」なのだろうか。どこにも行けそうでどこにも行けない。
でもそれは、そんなに悪くないことではないように思う。どこにも帰属できないかわりに、どこにでも郷愁を抱ける。それこそ「東京」のように。魂が帰る場所は、どこにでも見出せるものなのだ。

時代が終わる。すべてがはじまる。ー極私的・平成オタク史を振り返る

いよいよやってきましたね。平成最後の日。

せっかくなので、極私的・平成オタク史を振り返ってみたいと思います。
このブログを読んでいただいている物好きなみなさんや私のTwitterをご覧になっている方からすると「うっせえその話何回目だよ」と言いたくなる内容かと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。

 


筆者は1997年生まれ。
当たり前のようにニチアサを観ていた世代であった(だよね?)がゆえに、『セーラームーン』、『かいけつゾロリ』、スーパー戦隊平成ライダー、『おジャ魔女どれみ』、そして『プリキュア』(時間帯順)に囲まれて育った。

 

「暇があればひたすら歴史の本を読んでいる」というこまっしゃくれたガキではあったが、小3で『ゲド戦記』、小4で『ハリーポッター』、小5で『パスワード』『怪盗クイーン』『都会のトム&ソーヤ』シリーズにハマることとなる。

 

そして小5の冬。2009年1月25日、仮面ライダーディケイド』と運命的な出会いを果たしたせいで2019年の私の情緒がおかしなことになることになるのだが、この辺は後述。

 

中学受験を控えた小6の冬、文字通り人生を変えたあるアイドルと出会うこととなる。
2009年当時に一世を風靡したアイドルといえば皆さんお分かりだろう。
そう、である。
中学受験を終えてから本格的にジャニオタとしての道を歩み始めた筆者は、家にインターネットもなければ(!)お小遣いもないという環境のなかでせっせとオタクとしての研鑽を積むことになった。
このような環境のため、メンバーが出るテレビ番組は欠かさず観る・新譜が出ればその都度購入し・数ヶ月に一度のペースで旧譜を集め・コンサートはDVDを入手して観るというオタク生活だったが(テレビ誌だけでなく女性週刊誌も立ち読みしてたとか今から考えると気が狂ってるな…)、おかげでオタクとしての少々拗らせたプライドが身についたように思う。そんなもんいらなかった

 

そんなわけで中学時代の筆者は「校内に並ぶものがない嵐の楽曲派オタク」を自称していたのである。
しかし、中3の冬。2013年2月6日、またしても運命の出会いを果たすことになる。
ゴールデンボンバーの「また君に番号を聴けなかった」
この曲に誘われ、今度はバンギャル活動の幕が上がるのだった。
バンギャルになってからのあれこれは過去の記事をご覧あれ。

chiriterrier.hatenablog.com


大学入学後は徐々に金銭的・時間的な余裕ができ、2017年、大学1回生の冬からは念願のライブ通いが始まった。
ここで2017〜2019年4月末までの年別ライブ参戦履歴を見てみよう。このブログで感想を書いたライブについてはリンクを貼っている。若気の至り的レポにはそっと目を閉じて


〜2017〜
† 1/24 DIR EN GREY @なんばHatch
† 6/9 デレ5th大阪公演(LV) 
† 6/16 sukekiyo @京都劇場
† 7/18 DIR EN GREY @グランキューブ大阪
† 8/3 lynch. @BIG CAT
† 8/13 デレ5thSSA公演(LV)
† 9/8 gibkiy gibkiy gibkiy @梅田Zeela
† 9/23 DIR EN GREY @なんばHatch
† 12/10 摩天楼オペラ @奈良NEVERLAND
† 12/16 DECAYS @OSAKA BRONZE
† 12/25 KEEL @OSAKA RUIDO

この辺は可愛いもんだ。
この時期はデレステにハマっていた時期なので(担当は速水奏さんと星輝子さん)ちょくちょくデレ関連の現場があるのが懐かしい。
その後秋〜冬あたりからaieさんギャになったのがよくわかる履歴である。それはそうとDECAYS活動しないんですか?
ここに掲載するライブ参戦履歴はiPhoneのメモに書き溜めたもののコピペなのだが、2017年分を見た瞬間「うわすっくな!!!!!!!」と叫んでしまった。病気である。

ちなみにこの年に聴いた音楽のまとめはこちら。

chiriterrier.hatenablog.com


〜2018〜
† 2/3 gibkiy gibkiy gibkiy × Merry Go Round Respects @OSAKA DROP
† 2/17 NOCTURNAL BLOODLUST @umeda TRAD
† 2/24 gibkiy gibkiy gibkiy × Merry Go Round Respects @岡崎CAM HALL
† 2/28 ARCH ENEMY @なんばHatch
† 4/7 Creature Creature @OSAKA DROP
† 4/8 BUCK-TICK @なら100年会館
† 4/21 the god and death stars × for severe addicts only @CLAPPER
† 4/26 DIR EN GREY @なんばHatch
† 4/30 lynch. @なんばHatch
† 6/10 BUCK-TICK @オリックス劇場
† 6/15 gibkiy gibkiy gibkiy × HOLLOWGRAM @梅田Zeela
† 7/16 the god and death stars @渋谷ラママ
† 8/6 lynch. @神戸VARIT.
† 8/12 KEEL @shimokitazawaGARDEN
† 8/24 gibkiy gibkiy gibkiy × PLASTICZOOMS @池袋手刀
† 8/25 emmurée @西九条BLANDNEW
† 8/31 DIR EN GREY @なんばHatch
† 9/26 aie @新宿LOFT BAR LOUNGE
† 10/13 MERRY @梅田クアトロ
† 10/23 ベッド・イン×金爆 @Zepp Tokyo
† 10/31 lynch. @なんばHatch
† 11/4 MUNIMUNI × aie et al. @PANHEAD GROOVE
† 11/9 gibkiy gibkiy gibkiy @梅田Zeela
† 11/13 the GazettE @なんばHatch
† 11/24 DIR EN GREYトークイベント@ドーンセンター
† 11/26 Judas Priest @グランキューブ大阪
† 12/19 L'Arc〜en〜Ciel @東京ドーム
† 12/23 『仮面ライダー 平成ジェネレーションズFOREVER』舞台挨拶 @Tジョイ京都

この辺は怒涛の現場ラッシュ。これでもいろいろ事情があって削っているのだが…そんな遠征もしてないし…

ともあれバンギャルとしての経験値がめきめき上がる実感があり楽しい一年だった。夏ごろまでのライブレポ執筆率エグいな

この年に聴いた音楽のまとめはこちら。

chiriterrier.hatenablog.com


2018年のトピックといえば平成ライダーのオタクになったことが挙げられる。

詳しい事情はこちらをご覧あれ。

chiriterrier.hatenablog.com

この年観たのは『ディケイド』と『オーズ』、『ビルド』(途中まで)と『ジオウ』。それもこれもだいたい全部ディケイドのせい。おのれディケイドォ!!!!!!!


〜2019〜
† 1/2 『ジオウ』&『ビルド』ショー @ひらパー
† 1/4 the god and death stars @CLAPPER
† 1/5 the god and death stars @今池GROW
† 1/23 超英雄祭 @日本武道館
† 1/26 『Vシネクローズ』舞台挨拶 @バルト9
† 1/27 武田航平ナイト @バルト9
† 2/26 Pale Waves @umeda TRAD
† 3/14 結木滉星下京区一日署長イベント @京都市総合教育センター
† 3/16 摩天楼オペラ @奈良NEVERLAND
† 4/13 密林特撮学校 @池袋JUNGLE
† 4/13 健人の部屋 @e+ LIVING ROOM CAFE & DINING
† 4/28 密林特撮学校 @ラジオ会館
† 4/28 ALL DEAD DIES FES2019 @YOKOHAMA 7th AVENUE

というわけで今年は特撮現場の圧倒的な多さが目に沁みる…嗚呼交通費…
2019年開始〜平成終了現在までに観たのは『ビルド』の続き〜最終話、『龍騎』、『剣』。今は『555』36話まで視聴中。
一応バンギャル現場もちょくちょく行っている…が、次回は未定。

9月のdeadmanは臓器売ってでも行く。

 

 

「ジャニオタ→バンギャル→特撮オタク」という形で駆け抜けた平成。
「お前オタクの地獄を煮詰めたみたいな人生送ってんな」と思う瞬間がないとはいえませんが、好きなものを好きだと言える・好きなもののためにどこまでも行ける今に最大限の感謝を捧げたいと思います。


最後に自室の風景をご覧にいれてお別れとしましょう。
麗しの平成から新たな令和へ、愛を込めて。

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CD棚兼文庫本棚。今やすっかり平成ライダーの祭壇状態に。

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V系雑誌棚・オン・ザ・学習机。左端はチケット半券&フライヤー用ファイル。

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平成ライダー関連本棚。すでにキャパオーバー気味。

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ライダー本棚横、バンギャル関連本&漫画本棚。

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漫画棚とおもちゃ箱(の一部)。自室のカオスさを象徴する一枚。


改めまして、令和の『夢想家の日曜日』もよろしくお願いします。