夢想家の日曜日

化粧した男達に胸を鷲づかみにされてしまった

【ご報告】5歳になりました

5歳の誕生日を迎えた。

 

むろん実年齢の話ではない。バンギャルとしてだ。

 

5年前の私は15歳。

通っていた中学から(一応受験はしたとはいえ)エスカレーター式に高校進学が決まり、最後の中学生活を楽しんでいた。

当時のヒット曲はゴールデンボンバー「女々しくて」。

学年に並ぶものはない嵐オタとして君臨していた(笑)私もクラスの皆と一緒に歌っていた。人生で珍しく陽キャだった時代

 

来たる2013年2月6日、あるクラスメイトの女子が私に告げた。
ゴールデンボンバーって女々しくてもいいけど『また君に番号を聞けなかった』って曲もいいよ」

実を言えば私の家にはパソコンもスマートフォンもなかった。
この時代に、である。
唯一あるのはガラケーのみ。YouTubeでの視聴、CDをレンタルして電子データで所有なんてことは夢のまた夢であった。

しかし私はある事実を思い出したのである。
「うちの近所のCD屋にゴールデンボンバーの視聴できるやつあった気ぃする」

その日の授業が終わるなり電車に揺られて地元に帰り、件のCD屋に寄った。

視聴機は確かにあった。

クラスメイトのあの子が言っていた曲、そう、「また君に番号が聞けなかった」を再生する。

 

PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK

 

これはもはや比喩ではない。今思い返せばそれまでの人生で最も音楽に衝撃を受けた瞬間だったはずだ。
数日前にずっと片思いしていた男子に告白してフラれて3日で立ち直った後で歌詞の甘酸っぱさと切実さが沁みたとかそんなことは些細なことだ。

 

私はあれだけ好きだった嵐のオタクをやめた。

 

嫌いになった訳ではない。
しかしあの衝撃を受けてしまった。もう戻ることはできない。

「好き」のランクが根底からひっくり返されてしまったのだ。
「好きの反対は無関心」という言葉を、私は身をもって知ることとなる。

高校入学までの間を、私はMステの録画とかそういったものだけで待ち続けた。

(私だけかもしれないが、新しく好きになったものを他人に公言するのはいささか気恥ずかしくなってしまう。ここから1年ほど、親にV系が好きとは言えなかった)

高校入学とほぼ時を同じくして、家にパソコンとiPod touchが導入された。
そのとき、私はこう思ってしまった。
ゴールデンボンバーってヴィジュアル系?ってのに入るのかな…よく分かんないけど
なんか歴史があるジャンルっぽいからしっかり勉強しとかないとね」お前ほんと根がオタクだな
それ以来、怒涛の「TSUTAYAV系の音源レンタルしまくりdigりまくり生活」に突入する。

 
その後はラルクが好きになったりlynch.で苦手だったデスボイスを克服したり摩天楼オペラが本命盤になったりその流れでメタルも聴き出したりDIR EN GREYに出会ってしまったり京さんに憧れるあまり風呂でデスボイス練習しだしたり摩天楼オペラの彩雨さんが好きすぎて彼を題材にしたエッセイで第一志望の大学に進学したりとまあ色々あるのですが長くなるので割愛します。

 

ワタクシ、もうすぐ大学3回生になるのに性懲りもなく高校時代の自分の話をしてしまう悪癖があるんですが、それだけ自分の嗜好形成に大きな影響を与えた3年間だったのだなと。

最近、高校時代に校内放送で流してた曲目リストを見直す機会があったのですがもうどう考えても現在への伏線としか考えられないですね。
なんでお前「高校時代はdeadmanに真剣。とは言えなかったなあ」とか言いながら「lunch box」流してんだよあと前の記事でも書いたけどMerry Go Round流しすぎ


去年の1月、初めてDIR EN GREYのライブに行ってからようやく脱音源ギャして現場に足を運ぶようになった。
正直財布が死にまくってはいるが楽しくて仕方がない。
ライブに行く楽しみ、ライブを通じて新たな曲に出会う楽しみ。いやあそんなん置いといて推しが生きてるだけで幸せなんすけど

高校時代の自分に「お前今aieゴリッゴリに推してるけど、どう?」と言えば絶対腰抜かすだろうな、なども妄想するのもまた一興。
5年を迎えてもなお、知らない景色が目の前に広がり続けている。
そのことに満足しながら、そして推し共々心身ともに健康な生活を送れることを祈りながら、長い自分語りを終えることにしよう。

 

 

 

あと岡崎poison excl.行くことにしました