夢想家の日曜日

化粧した男達に胸を鷲づかみにされてしまった

emmurée monthly “oneman” tour 『lightless in OSAKA』

emmurée monthly “oneman” tour 『lightless in OSAKA』
2018年8月25日 西九条BRAND NEW

emmurée
Vo. 想
Gt. ハルカ
Ba. 朋
Dr. yas(support)

 

01 lightless-僕の夢-
02 lightless-鈍い闇-
03 夜ノ唄
04 八月の雨
05 angel's watarcolor
06 brand new world
07 熱帯夜
08 消滅、崩壊、自我、支離滅裂。
09 circus
10 tonight-星降る月夜に-
11 種
12 Red.
13 story in heaven
14 呼吸
15 雨音
16 朧げに、猶予う。

EN 無色透明

 

今年6月に発売された5thアルバム「lightless.」を引っさげたツアーの3本目。
管理人がemmuréeを聴くきっかけになったのが「lightless.」。
この日が初めてのライブであった。


幕が開くと、改めて「lightless.」というアルバムの懐の深さに驚かされる。
「lightless-僕の夢-」〜「lightless-鈍い闇-」というアルバム通りの曲順。
夏の夜の、甘美で色濃い闇に包まれるかのような感覚が襲う。

「八月の雨」、そして「brand new world」。
湿り気の中、空間がどこまでも広がってゆく。
古式ゆかしいヴィジュアル系の系譜にあるはずなのに、なぜか夏を感じる。

「消滅、崩壊、自我、支離滅裂。」のような、名古屋や90年代の薫りを感じさせる曲を挟みながらも、「朧げに、猶予う。」で本編を締める流れが心憎い。
そして本編終了後、音が鳴りっぱなしのギターから放たれたのは「無色透明」。
降り続く雨のようにも、蝉時雨のようにも聴こえるギター。
轟音の中の安らぎ。これがこのライブの本質だったのかもしれない。

 

 

朋さんのtwitterアカウントのIDがマニキュアおじさんなの最高にkawaiiデスネ・・・†

[PLASTICZOOMS vs gibkiy gibkiy gibkiy]

 [PLASTICZOOMS vs gibkiy gibkiy gibkiy]

2018年8月24日 池袋手刀

 

PLASTICZOOMS

Vo. SHO ASAKAWA

Gt. TOM TAKAHASHI

Ba. / Syn. JUN YOKOE

Dr. 神林祥太(support)

 

01 MINDS

02 SMOKE MOTION

03 VEILED EYES

04 QUITE CLEARY

05 TO CUT A LONG STORY SHORT

06 U12

07 HIGHWAY

08 NIGHT&HURT

09 SAVAGE

10 CRACK

11 THE FUTURE

 

(ソース:

https://twitter.com/PLASTICZOOMS/status/1033285218835333120

 


gibkiy gibkiy gibkiy

Vo. kazuma

Gt. aie

Ba. kazu

Dr. sakura

 

01 無中無

02 告白

03 愛という、変態


04 新曲

05 suspend

06 箍を外す場合、穴に群れる具合


07 とある澄んだ春の朝に

08 脳内に

 

 

 

ついにこの日がやってきた。

憧れ続けた箱、池袋手刀にやって来た。

 

まずはPLASTICZOOMSから。

PLASTICZOOMSを観るのは今回が初めてだ。

予習としては昨年発売されたセルフタイトルアルバム「PLASTICZOOMS」を一周した程度だったが、読み通り音源よりもライブで映える。

音の洪水に包み込まれる至福。

心地よい激しさの中に揺蕩うことのできた時間だった。

 

そしてついに、gibkiy gibkiy gibkiy

赤の照明がひとつだけ吊り下げられ、隠しきれない熱情のように輝く。

今年このバンドを観るのは4回目だが、新譜リリースもないにもかかわらずここまで変貌していくとは。完全に予想外だった。

PLASTICZOOMSの轟音に呼応するかのように、荒々しい音が降り注ぐ。

このバンドは観れば観るほど洗練されていくのではない。

観れば観るほど、野生が研ぎ澄まされていく。

血を、性を、業を研ぎ澄まされていく。

引き出される感情の渦を止めることはできない。


7曲目、「とある澄んだ春の朝に」。

昨年9月、初めてgibkiy gibkiy gibkiyと対峙したまさにそのライブ以降、ライブでは全く聴けていなかった(ライブで披露されてはいたが立ち会えてはいなかった)一曲だ。

この曲が聴けただけで今日来られて良かったというもの。

静寂。

柔らかく秘められた狂気が「脳内に」へと雪崩れ込む。

そして終焉へ。


今回はこれまで観たどれよりも本能的なライブだったように思う。

ついに新曲まで披露されてしまった。

否が応でも、11月からのワンマンツアーへの期待が高まるというものだ。

冬、凍てつく季節に彼らはどんな咆哮をみせるのか。

 

 

 


かずまさんがたいへんごきげんそうでうるわしかったです、ピーハツのイーデー・・・。

『すべての道はV系へ通ず。』によせて 〜とある地方ギャの憂鬱〜

残-ZAN-暑お見舞い申し上げます。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

私事で恐縮ですが、『すべての道はV系へ通ず。』を本日読了しました。

すべての道はV系へ通ず。

すべての道はV系へ通ず。

 


今月6日に発売された、<草創期の共犯者>市川哲史氏と<ゼロ年代の業人>藤谷千明氏による本書。
ヴィジュアル系というシーンについて一度でも思いを巡らせたことのある人なら思わず膝を打つような考察が並ぶ、オタクにとってはまたとない一冊です。


ここでは、本書を読んで考えたことをつらつら書いていこうと思います。
例により、管理人の個人的思い出がマシマシなのはご容赦ください。
それでは、まいりましょう。

 

 

2013年2月6日。
ゴールデンボンバーの曲「また君に番号が聞けなかった」を初めて聴いた日、奈良に住むしがない中学3年生の人生は変わった。
この辺りは過去の投稿でも触れたので詳細は省くが、「地方の思春期オタクがヴィジュアルショックの洗礼を受けた日」であることはまぎれもない事実だ。


高校時代を振り返ってみると、「地方ギャのリビドー」が大きな原動力であったように思う。
地方に住む学生がライブに行くのは夢のまた夢だった当時は「ライブに行ってる奴らに負けたくない」と音源を聴き漁った。
周りに誰もヴィジュアル系を聴く人間がいなかったので、わざわざ放送部に入部してまで昼休みの放送でヴィジュアル系の曲を流しまくった。
そして今、21歳の私は、ライブに行けなかったあの頃を取り返すかのようにライブに足繁く通っている。
嗚呼出るわ出るわ黒歴史。オタクとはなんと業深い生き物か。

(もちろんそれだけがヴィジュアル系を追い続ける原動力ではない。
そもそも好きが義務になるようならとっくに上がっている。バンドが、音楽が好きな気持ちが一番にあるからこそ未だにバンギャルをやっているのだ。そこは誤解のなきよう。)

 


大学入学後の私は、同好の士ができるかもしれないという淡い期待を胸に、軽音サークルに入部した。
それでもやはり、ヴィジュアル系に対する風当たりは優しくはなかった。
弊サークルはメタル好きが多い。

しかし、彼らに「DIR EN GREYが好き」と言おうものなら2011年のWacken Open Airをネタにされ、LOUD PARKにthe GazettEの出演がアナウンスされようものなら「ガゼット(笑)」と言われる。
メタラーが全員ヴィジュアル系を蔑視しているとは言わない。

彼ら自体、「メタルの入り口はDIR EN GREYだった」と言う奴もいたし、私が無理矢理ヴィジュアル系のコピバンを組んだときも協力してくれた。根本的にはみんないい奴なのだ。
それでも、依然として「ヴィジュアル系(笑)」という認識は消えないのである。
バンギャルである」それ自体がスティグマとなりうる現状に少々嫌気が指しているのも事実だ。

 

本書において「ヴィジュアル系は恰好悪いという発言はネオ・ヴィジュアル系以降世代のバンギャルには理解しがたい」という趣旨の指摘があったが、これには疑問を呈さざるを得ない。
ヴィジュアル系<被差別>史は、形を変えて未だ続いている。


思えば、嵐が好きで好きでたまらなかった中学時代も「ジャニオタは頭悪いとかいうレッテルなんか貼られたくない」などと考えていたように思う。
本書で藤谷氏は「<ヴィジュアル系は、女子供が聴くもの>的な根底にたどり着くのではないか」と述べていた。
こと日本という国においては、「女子供が聴くカルチャー」に対する風当たりが強すぎるように思う。
ジャニーズ、ヴィジュアル系等々に対して、容姿などの表面的な要素に囚われた「『批評』の無いジャンル」であるという先入観は未だ無くなっていない。
その原因についてここで深く考えることはしないが、その病理の深さには嘆息せざるを得ない。
いわゆる「世間様」に対し<被害妄想>を抱くのは、バンギャルに限った問題ではないのだ。
「俺オタクだけど〜」というような文脈でネタ的に扱われることの多いイキリオタク現象も、この<被害妄想>の裏返しではないだろうか。

 


加えて、音楽的文脈の問題においても触れておきたい。
本書において、凛として時雨9mm Parabellum BulletLUNA SEA直系であるとされているが、私の所属する軽音サークルではまさにそれらのバンドが主軸の一つである。
この事実に直面するたび、私は胸の底からこみ上げてくる悔しさを抑えることができない。


ヴィジュアル系というジャンルは、あまりにも隔絶されすぎてはいないか?


「近年は他ジャンルのフェスの出演も多く、ボーダーレスになってきている」という指摘は確かにもっともだ。
しかし、私と同じゼミの女性はこう言った。
「あるフェスでヴィジュアル系バンドを観たけど、ヴィジュアル系ってアイドル的消費をされてるように思った」
私の目下の研究テーマである「ヴィジュアル系のファン心理」に対してのコメントであるから、この発言をバンド自体にも適応することは適切ではないかもしれない。
だが、少なくともヴィジュアル系へのパブリックイメージの一部を切り取ってはいるように思う。
ヴィジュアル系という「文化」自体がフェスで受け入れられても、その音楽性や後続への影響については(ヴィジュアル系ムラの外側において)ほとんど語られないのが常なのだ。

例えば「THE ORAL CIGARETTESがめちゃめちゃヴィジュアル系っぽい」と周囲のヴィジュアル系好きの中で話題になり、実際に聴いてみる人が増える、ということがあった。

しかしながら、その逆のパターンというのは(私の観測範囲では)お目にかかったことがないのである。

 

2010年代も後半に突入してもなお、ヴィジュアル系の音楽性は広がり続けている。
彼らの音楽性が真の意味でボーダーレスに評価される日を願うばかりだ。

 

 


「〜とある地方ギャの憂鬱〜」というサブタイトルに違わず、ヴィジュアル系の需要に関して憂うだけの文章になってしまいました。(もはやただの私怨)
ですが少なくとも、一人のバンギャルをここまで駆り立ててしまうOSORO SEA名著であることは確かです。

 1997年というヴィジュアル系にとって特筆すべき年に生まれたこと、そしてヴィジュアル系を好きになったきっかけがゴールデンボンバーであったこと。

これらの事実を、一種の誇りとして強く強く感じることができました。


『すべての道はV系へ通ず。』を読んだあなたと熱い議論を戦わせる日を、楽しみにしています。

KEEL 5th anniversary「楡と葡萄」

KEEL 5th anniversary「楡と葡萄」
2018年8月12日 下北沢GARDEN

KEEL
Vo. ryo
Gt. aie
Ba. 愁
Dr. Tomoi

 

SE Let it snow! Let it snow! Let it snow!

01 ニードル
02 SWANS
03 腐肉と果実
04 接吻

05 虚構を思考する
06 喘鳴
07 知りすぎた心臓
08 太陽より暑い夏

09 bring me reason
10 rain song
11 水辺の君に
12 星成り
13 正しい鳥

14 発火
15 午後の射殺
16 告白
17 fanfale

18 蒼天
SMC
19 May your life be always fulfilled with love

EN
20 Over
21 修羅
22 Siren
23 人型

 


「KEEL第1期最終公演」と銘打たれたこのライブ。
この日が一旦の区切りとなり、今後の予定は全くの白紙とのこと。


「ニードル」から幕を開ける。
90年代の薫りを感じさせるサウンドながら、繊細に洗練された激しさ。
そう、この音を聴きに来た。
過去で時が止まった訳ではない。
年月を経て研ぎ澄まされた音が軌跡を描く。
ここまで美しくヴィジュアル系であるバンドもそうそういない。


構築美を持ちながらも自由に動き回る楽器隊。
愛と狂気が渦巻く唄。

本編ラスト、「May your life be always fulfilled with love」。
ryo氏の描く愛の詞が好きだ。無垢であり、光に満ちている。

 

アンコールでは、「Over」〜「修羅」〜「Siren」が畳み掛けられる。
個人的には、ここまでヴィジュアル系らしい暴れ方をさせてくれるバンドのライブは他に行っていないので少し寂しい気も。

 

第1期KEELの最後を飾った曲は「人型」。
無垢であるが故の捻れ。
人間にならざるを得なかった、人間という存在であるが故の苦悩。そして狂気。
あまりにも壮絶なryo氏のステージングに全てを持っていかれる。
我々も魂を抜かれたのかもしれない。
あまりにも唐突な幕切れ。
余韻を残さないが故に、まだ心は引きずられたままだ。


KEELは純黒のエナメルのようなバンドだ。
だからこそ、光を受け止め反射し、艶かしく輝くことができる。
良いライブだった。
頭から尻まで一人のバンギャルとして心から楽しめた。
晴れやかでありながら、泣きたくなるような時間。
不思議とこれで最後、という悲壮感はない。
近いうちに再会できる予感がある。
純粋にまたこのメンバーを観たい。この光にまた触れたい。
そんなことを考えさせられた。

 

 

 

あいえさんのグッドスメルの正体を知りたいです

lynch. TOUR’18 「Xlll -THE BEAUTIFUL NIGHTMARES-」

lynch. TOUR’18 「Xlll -THE BEAUTIFUL NIGHTMARES-」
2018年8月6日 神戸VARIT.

lynch.
Vo. 葉月
Gt. 玲央
Gt. 悠介
Ba. 明徳
Dr. 晁直


SE INTRODUCTION(「Xlll」収録版)

01 THIRTEEN
02 EXIST
03 GROTESQUE
04 JØKER

05 CREATURE
06 ANTARES
07 DAMNED
08 NEEDLEZ

09 RENATUS
10 AMBLE
11 SENSE OF EMPTINESS
12 AMBIVALENT IDEAL

13 GALLOWS
14 INVADER
15 FAITH
16 OBVIOUS
17 pulse_
18 FIVE

19 A FOOL

EN1
20 vernie
21 I BELIEVE IN ME
22 ALL THIS I’LL GIVE YOU
23 EVOKE

EN2
24 MOON


7月にニューアルバム「Xlll」を発売したlynch.
本ツアーが発売後初ツアーとなる。


ライブでの盛り上がりを重視し、ラウドロック寄りの作風となった前作「AVANTGARDE」から、「SINNERS」〜「BLØOD THIRSTY CREATURE」〜「SINNERS -no one can fake my bløod-」を経て辿り着いた最新作、「Xlll」。
SE〜「JØKER」の流れに否応無く急上昇させられるボルテージ。
ヴィジュアル系らしさとライブ映えをここまで共存させることができるのか、と改めて痛感させられる。
「Xlll」はいわばlynch.史上最もバランス感覚に優れたアルバム」
過去曲を挟んでも、驚くほどその輝きを失わない。
むしろ過去曲と最新曲が互いの素晴らしさを引き出しあっていた。

 

今回印象に残ったのはGt.悠介氏のギタープレイだ。
「スーパーゆしけタイム」の異名を誇る「RENATUS」〜「AMBLE」〜「SENCE OF EMPTINESS」の一連の流れを完全再現。
シューゲイザーやポストロックを思わせる轟音に繊細さを兼ね備えたアルペジオが曲に色彩と深みを与える。
そして本編ラスト曲、「A FOOL」。
アウトロのピアノパートでギターを下ろし、優雅に舞う姿はまさにタロットカードの「THE FOOL」。
夢を見るかのように奏で、音像の枠を広げる。
その才をさらに前面に押し出した姿を観たくなった。


曲の世界に呑み込まれるでもなく、ただただ純粋に「楽しい」と思える時間。
キャリアを重ねた巧さもさることながら、原点に回帰するかのような、あえて言うならばキッズめいた初期衝動をひときわ強く感じた。
たとえ音楽性が変化しようと、lynch.lynch.として存在しているという悦楽。

断言しよう。lynch.は今が一番格好良い。

 

 

葉月さんのアイシャドウのラメがきらきらしていてたいへんかわゆでした

the god and death stars  eight years anniversary

the god and death stars  eight years anniversary

2018716 渋谷La.mama

 

 

the god and death stars

Vo./ Gt. 間瀬大

Ba. kazu

Dr. 大嵩潤

 

 

SE

01 into the filtration

02 濾過

03 焼失

04 君に決めた

05 aaron

 

06 落下する薄荷(新曲1)

07 再びの椅子

08 エドワード・スミス

09 damned

 

10 藁の犬(新曲2)

11 ミンチ

12 canine

13 ママイズジャム

 

14 addle apple

15 風邪のライオン

16 love hole

17 告発

 

18 elephant in the room

19 夜を歩く葡萄

20 真っ赤な雪

21 dawn of the god

 

 

現体制でのthe god and death stars、8周年記念のワンマン。

私にとっては初ワンマン、初東京遠征。

バンギャルとしても節目のライブだ。

 

1曲目、「into the filtration」~「濾過」。

心なしか、普段よりさらに歌に、表情に、演奏に体温が感じられる。感情が迸る。

手を伸ばすようでもあり、別れを告げるようでもある。

昨日は「7月15日」だった。

昨日も今日も笑ってしまうほどよく晴れて、暑い。

 

 

新曲2曲などを挟み、「canine」。

the god and death starsの中でもいっとう好きな一曲だ。

昼と夜が混ざり合う。曙光や黄昏を思わせる穏やかな音の連なり。

それでいて、どこか胸を締め付けるような。

全てを飲み込みながら、時は流れていくことを止めない。

終わりを告げる「dawn of the god」はすぐそこにあった。

 

 

the god and death starsは、いわば「生者のための音楽」を奏でるバンドだ。

純粋さと初期衝動に満ちたドラム。

音を包み込み、音の輪郭を支えるベース。

そして、ときに鋭く、ときに熱を帯びながら展開していくギター。

死や喪失、過去を歌いながらも絶望することはない。

優しさという言葉でもなく、愛という言葉でも足りない。

ただ、そこには光がある。

生を肯定する、という言葉が一番近いのだろうか。

僕らもその光を浴び、やがて体温の一部となる。

それを幸福と呼ばずしてなんと言えばよいのか。

 

 

 

 

 

地方ワンマンマジ激しくお待ちしております・・・。

“fear’s room” gibkiy gibkiy gibkiy x HOLLOWGRAM

“fear’s room” gibkiy gibkiy gibkiy x HOLLOWGRAM

2018年6月15日 梅田Zeela


gibkiy gibkiy gibkiy
Vo. kazuma
Gt. aie
Ba. kazu
Dr. sakura


01 無中無
02 愛という、変態
03 嫋嫋たる対象
04 箍を外す場合、穴に群れる具合

05 形状において歪な、または不自然な
06 suspend
07 告白

08 形の無い、何よりも、愛したのは、お前だけが
09 脳内に

 

前回観たライブの音源が本日の会場で売られている」という不思議な状況の中、実に4ヶ月ぶりのgibkiy gibkiy gibkiy


初手「無中無」のアウトロ、kazuma氏の咆哮が続く中始まる「愛という、変態」のイントロ。


流れるように曲が移り変わり、曲と曲との境界がみるみる曖昧になっていく。
イントロやアウトロで行われるセッション毎に、自分の現在地がどこなのかわからなくなる感覚に陥る。
曲構成、何気無いフレーズ、そして曲順。
かくあるものだと信じていた曲の姿を、やすやすと裏切ってくる。
刻々と変貌する曲の姿に、ただ翻弄されるばかりだ。


最初から最後までで一つの曲を構成しているかのように思えた時間。
待ち受けていたのは、箍の外れた獣だった。
もう彼らの枷となるものは何も無いのだろう。
バンドとしての強みをより一層増した彼らが、新たな場所へと既に進み始めているように思えてならなかった。

 

 

 

HOLLOWGRAM

Vo. ryo

Gt. 夢時

Ba. 一也

Dr. shinya

 

gibkiy gibkiy gibkiyのお次はHOLLOWGRAM

HOLLOWGRAMのライブは初見。

音源についても、「Qualia[ALBUS+RUFUS]」、「MALUS」を軽く予習した程度。というわけでセトリはありません。ご了承。

 

それでも、ryo氏の「綺麗に死ねると思うな」というセリフで始まった「Stand the devil's like」は圧巻だった。

指先まで血の通った歌が、圧倒的な表現力を持って全身を駆け巡る。

 

ryo氏の携わる作品には、いつも鮮やかな色彩があるように思う。

愛や憎しみ、優しさや狂気。

ときとして危ういバランスをかろうじて保つかのような緊張感。

様々な色が繊細に混ざり合う。

一つ一つの色が集まり放つ清冽な光に、また触れてみたい。

そう感じさせる一夜だった。

 

 

 

 

 


kazuma氏の顔左半分が真っ黒にペインティングされてたのにもかかわらずカラフルなニットをお召しになってたことは強調しておこうと思います(何があった)