夢想家の日曜日

化粧した男達に胸を鷲づかみにされてしまった

『すべての道はV系へ通ず。』によせて 〜とある地方ギャの憂鬱〜

残-ZAN-暑お見舞い申し上げます。

皆様いかがお過ごしでしょうか?

私事で恐縮ですが、『すべての道はV系へ通ず。』を本日読了しました。

すべての道はV系へ通ず。

すべての道はV系へ通ず。

 


今月6日に発売された、<草創期の共犯者>市川哲史氏と<ゼロ年代の業人>藤谷千明氏による本書。
ヴィジュアル系というシーンについて一度でも思いを巡らせたことのある人なら思わず膝を打つような考察が並ぶ、オタクにとってはまたとない一冊です。


ここでは、本書を読んで考えたことをつらつら書いていこうと思います。
例により、管理人の個人的思い出がマシマシなのはご容赦ください。
それでは、まいりましょう。

 

 

2013年2月6日。
ゴールデンボンバーの曲「また君に番号が聞けなかった」を初めて聴いた日、奈良に住むしがない中学3年生の人生は変わった。
この辺りは過去の投稿でも触れたので詳細は省くが、「地方の思春期オタクがヴィジュアルショックの洗礼を受けた日」であることはまぎれもない事実だ。


高校時代を振り返ってみると、「地方ギャのリビドー」が大きな原動力であったように思う。
地方に住む学生がライブに行くのは夢のまた夢だった当時は「ライブに行ってる奴らに負けたくない」と音源を聴き漁った。
周りに誰もヴィジュアル系を聴く人間がいなかったので、わざわざ放送部に入部してまで昼休みの放送でヴィジュアル系の曲を流しまくった。
そして今、21歳の私は、ライブに行けなかったあの頃を取り返すかのようにライブに足繁く通っている。
嗚呼出るわ出るわ黒歴史。オタクとはなんと業深い生き物か。

(もちろんそれだけがヴィジュアル系を追い続ける原動力ではない。
そもそも好きが義務になるようならとっくに上がっている。バンドが、音楽が好きな気持ちが一番にあるからこそ未だにバンギャルをやっているのだ。そこは誤解のなきよう。)

 


大学入学後の私は、同好の士ができるかもしれないという淡い期待を胸に、軽音サークルに入部した。
それでもやはり、ヴィジュアル系に対する風当たりは優しくはなかった。
弊サークルはメタル好きが多い。

しかし、彼らに「DIR EN GREYが好き」と言おうものなら2011年のWacken Open Airをネタにされ、LOUD PARKにthe GazettEの出演がアナウンスされようものなら「ガゼット(笑)」と言われる。
メタラーが全員ヴィジュアル系を蔑視しているとは言わない。

彼ら自体、「メタルの入り口はDIR EN GREYだった」と言う奴もいたし、私が無理矢理ヴィジュアル系のコピバンを組んだときも協力してくれた。根本的にはみんないい奴なのだ。
それでも、依然として「ヴィジュアル系(笑)」という認識は消えないのである。
バンギャルである」それ自体がスティグマとなりうる現状に少々嫌気が指しているのも事実だ。

 

本書において「ヴィジュアル系は恰好悪いという発言はネオ・ヴィジュアル系以降世代のバンギャルには理解しがたい」という趣旨の指摘があったが、これには疑問を呈さざるを得ない。
ヴィジュアル系<被差別>史は、形を変えて未だ続いている。


思えば、嵐が好きで好きでたまらなかった中学時代も「ジャニオタは頭悪いとかいうレッテルなんか貼られたくない」などと考えていたように思う。
本書で藤谷氏は「<ヴィジュアル系は、女子供が聴くもの>的な根底にたどり着くのではないか」と述べていた。
こと日本という国においては、「女子供が聴くカルチャー」に対する風当たりが強すぎるように思う。
ジャニーズ、ヴィジュアル系等々に対して、容姿などの表面的な要素に囚われた「『批評』の無いジャンル」であるという先入観は未だ無くなっていない。
その原因についてここで深く考えることはしないが、その病理の深さには嘆息せざるを得ない。
いわゆる「世間様」に対し<被害妄想>を抱くのは、バンギャルに限った問題ではないのだ。
「俺オタクだけど〜」というような文脈でネタ的に扱われることの多いイキリオタク現象も、この<被害妄想>の裏返しではないだろうか。

 


加えて、音楽的文脈の問題においても触れておきたい。
本書において、凛として時雨9mm Parabellum BulletLUNA SEA直系であるとされているが、私の所属する軽音サークルではまさにそれらのバンドが主軸の一つである。
この事実に直面するたび、私は胸の底からこみ上げてくる悔しさを抑えることができない。


ヴィジュアル系というジャンルは、あまりにも隔絶されすぎてはいないか?


「近年は他ジャンルのフェスの出演も多く、ボーダーレスになってきている」という指摘は確かにもっともだ。
しかし、私と同じゼミの女性はこう言った。
「あるフェスでヴィジュアル系バンドを観たけど、ヴィジュアル系ってアイドル的消費をされてるように思った」
私の目下の研究テーマである「ヴィジュアル系のファン心理」に対してのコメントであるから、この発言をバンド自体にも適応することは適切ではないかもしれない。
だが、少なくともヴィジュアル系へのパブリックイメージの一部を切り取ってはいるように思う。
ヴィジュアル系という「文化」自体がフェスで受け入れられても、その音楽性や後続への影響については(ヴィジュアル系ムラの外側において)ほとんど語られないのが常なのだ。

例えば「THE ORAL CIGARETTESがめちゃめちゃヴィジュアル系っぽい」と周囲のヴィジュアル系好きの中で話題になり、実際に聴いてみる人が増える、ということがあった。

しかしながら、その逆のパターンというのは(私の観測範囲では)お目にかかったことがないのである。

 

2010年代も後半に突入してもなお、ヴィジュアル系の音楽性は広がり続けている。
彼らの音楽性が真の意味でボーダーレスに評価される日を願うばかりだ。

 

 


「〜とある地方ギャの憂鬱〜」というサブタイトルに違わず、ヴィジュアル系の需要に関して憂うだけの文章になってしまいました。(もはやただの私怨)
ですが少なくとも、一人のバンギャルをここまで駆り立ててしまうOSORO SEA名著であることは確かです。

 1997年というヴィジュアル系にとって特筆すべき年に生まれたこと、そしてヴィジュアル系を好きになったきっかけがゴールデンボンバーであったこと。

これらの事実を、一種の誇りとして強く強く感じることができました。


『すべての道はV系へ通ず。』を読んだあなたと熱い議論を戦わせる日を、楽しみにしています。