夢想家の日曜日

化粧した男達に胸を鷲づかみにされてしまった

2022年に聴いた音楽まとめ

はじめに

2022年が終わろうとしている。
思い返せば1月に修論を提出し2月に実家が引っ越し、3月には一人暮らしを始め4月には就職。そのあと数ヶ月インターネットには書けないゴタゴタがあったり秋には修論を投稿用に再構築したりと人の3倍は働いた1年だったような気がする。
正直10月あたりからは業務量が多すぎて常に気絶していたためあまり記憶がないが、とにもかくにも生きている。
昨年書いたブログで「社会と人格をどうバランスとりながら生きていくか」というワードを出したが、実際退勤してからの自由時間がほぼない今となっては例えば通勤時に聴く音楽や湯舟で読む『ONE PIECE』が最後の砦だったりする。
私が私であるために、名前と人格のある一個人として生きるためにはなにが必要なのか。
今年聴いた音楽たちも、期せずしてそれを明確に表している。

ここでは、2022年に初めて聴いた音源の中からお気に入りをレビューする。新譜に限らない。
アルバム/EPの区別は特に行わず、おおむね3曲以上入っている音源をとりあげる。
掲載順はそこまで厳密には決めていないが、それぞれ後に紹介されたものほど気に入ってるということで何卒。
なお、音源中で特に気に入った曲を3曲ピックアップしている。

それではいってみよう。


舐達麻 『GODBREATH BUDDHACESS』(2019)

Like→「LIFE STASH」「GOOD DAY」「100MILLIONS」

一時期仕事を始める前に聴くのにハマっていた一枚。
これを書くために聴き返したところ、6月ごろの湿った行き詰まりの感覚が鮮明に思い出されて気分が悪くなった(ちなみにその後突如として浜崎あゆみにハマる)。そのくらい聴いていた。
最近『ごくちゅう!』(女性刑務所の日常をまんがタイムきらら風に描く作品。おすすめ)で、大麻所持で捕まった主人公が「LIFE STASH」を歌うシーンが出てきた際はめちゃくちゃ笑ってしまった。
「たかだか大麻 ガタガタぬかすな」のイメージが強いように思うが、アウトローな日常を描きながらもその全てが漠として過ぎてゆくかのような静かな諦念も感じられる。

紫牡丹『Omnia』(2022)

Like→「Road to Space」「銀砂漠」「生海」
あるバンドについて書くときに形容詞として先達の名前を引くのは流儀に反するが、このバンドのすばらしさを一言で表せるとすれば「BUCK-TICKSOFT BALLETTHE NOVEMBERSを全部一緒くたにしたような」というのが最も伝わりやすいように思われる。
昨年のNEHANN『New Metropolis』も記憶に新しい中(活休が本当に悔やまれる)、このような音源が聴けるのが嬉しい限り。
先日のイベント「V系って知ってる」も盛況に終わったようだが、もしかするとすでにヴィジュアル系の再構築は始まっているのかもしれない。


Various Artists『HiGH&LOW THE WORST BEST ALBUM』(2022)

Like→「RIDE OR DIE」「Fallen Butterfly」「We never die」

LDH謹製の総合エンタメ作品『HiGH&LOW』シリーズより、『HiGH&LOW THE WORST』と今年公開の続編『HiGH&LOW THE WORST X』の劇中歌をまとめたベストアルバム。
そもそも9月初頭に公開された映画の劇中歌が年の瀬までフルで配信されないってなんなんだよ…とも思いつつ、改めて音楽単体で聴くと単純に曲としての格好良さに度肝を抜かれる。
THE RAMPAGE from EXILE TRIBEもついに今年MIYAVIと共演したわけだし、来年の展開にも期待。


Help Me Plyz『Help Me Plyz』(2021)

Like→「New Balance」「Kikuichimonji (Help Me Plyz ver.)」「Love of Hell (Help Me Plyz ver.)」

ラッパーTYOSiNが率いるバンドの1stアルバム。
今年の夏〜冬の初めあたりまでひたすらTYOSiNを聴いていた時期があり、今回どの音源を選ぶかかなり迷ったがこれで。
TYOSiNの既存楽曲をバンド形式で再構築したものが多いため、原曲との比較も聴きどころ。
「Love of Hell」や「Secret, 2020」では、泣きのギターが原曲の悲痛さや叫びを何倍にもしている。2000年代のエモをアップデートした音像かと思いきや、「Kikuichimonji」のアウトロでは昔のDIR EN GREYを彷彿とさせるブレイクが入ったり飽きさせない。
かねてより私は TYOSiNの声について「憂鬱を人の形にした声」と評しているのだが、とくに「Secret, 2020」の「メンヘラでも何でも言っとけよ これが今の俺のリアルよ」は今年聴いた中でも指折りのパンチラインだった。もはやある程度形式化されてきた(この言葉はあまり使いたくないが、いわゆる「メンヘラ」的な)「病み」表現を脱構築していくという意味で個人的にはかなり重要な意味合いを持つリリックである。
リーヴ・ストロームクヴィストによるフェミニズムコミック『21世紀の恋愛』でも言及されていたように、近代以降すべての事象が科学的に説明可能だとされたことにより、自己や他者の心の動きも論理的な因果をもとに説明可能だとみなされている。
しかしながら『21世紀の恋愛』の主題である恋愛じたい、きわめてuncontrollableなものである。自分自身ですら、いつ誰を好きになるのか・いつ誰を好きでなくなるのかは予想することはできない。恋愛とは、自分の中にある他者性の発露であるとも換言できる。
また、人生において自分が自分とは思えないぐらいのとりみだしを経験するシチュエーションは恋愛のみにとどまらないだろう。そんなときにこそ、「メンヘラでも何でも言っとけよ これが今の俺のリアルよ」の言が光るのではないか。
けっして「メンヘラ」の一言では形容できない自分/他者の予測不可能性を、「リアル」へとたぐり寄せる術を教えてくれるラッパーであるように思う。


釈迦坊主『AHIRU』(2022)

Like→「Moon Sun (feat. Tohji)」「Chewing Gum (feat. Dogwoods & JUMADIBA)」「Pandemonium」

昨年の下半期はほぼ釈迦坊主しか聴いていなかったわけだが、結局今年も死ぬほど聴いていた。
聴き始めて1年ちょっとしか経っていないのにアルバム別再生回数ランキングの2位に『HEISEI』が鎮座ましましているのによくあらわれているが(ちなみに1位と3位はDIR EN GREYでそれぞれ『ARCHE』、『DUM SPIRO SPERO』)、ヴィジュアル系・メタル・ヒップホップ…とにかく私にとっては、自分が今まで聴いてきた音楽たちを全部混ぜた集大成のようなラッパーであり、加えてヒップホップの「聴き方」を理解できるようになったラッパーでもある。
というのも、以前ヒップホップを聴き始めたところ、リリックが金と女の話題ばかりでげんなりしてしまったことがあった(そもそもの人選が適切でなかったともいう)。
ただ釈迦坊主はインタビューでも言っているようにリリックの内容をさほど重視していないように思われる。しかもいわゆるマンブルラップ系で何を言っているか聴き取れないというのもあって、なんとなくリリックと私自身の自我という二者間の距離の取り方をつかめるようになった。
実際釈迦坊主をしこたま聴いているとはいえ、リリックのワードチョイスなどには疑問を覚えることがしばしばあるが、そこをある意味考えないようにして聴くことができているのである(それがあるべき聴き方なのかはともかく)。
現在アルバム制作中とのことで、2023年の楽しみがまたひとつ増えている。


春ねむり『春火燎原』(2022)

Like→「Déconstruction」「春雷」「あなたを離さないで」

chiriterrier.hatenablog.com

↑ここで書いたことが全て。
この音楽に込められた激しい怒りは、けっして暴力を指向するものではない。
祈り、そして対話するための音楽であり、怒りも聖も俗もすべてを抱きしめて私たちは生きていく。
世界を変えるための起爆装置はもう我々の手にある。


宇多田ヒカル『BADモード』(2022)

Like→「Time」「君に夢中」「PINK BLOOD」

一見平凡に見える「いま・ここ」こそが劇的な事象であり、またチルアウトスペースでもある。
「君に夢中」を流しながら歩けばいつでも『最愛』の吉高由里子になれるし、「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」を聴けばここではないどこかを幻視できるように。


Awich『Queendom』(2022)

Like→「口に出して」「Queendom」「やっちまいな (feat. ANARCHY)」 

私がわざわざ言うまでもなく、2022年の日本のヒップホップ界はAwichの躍進とともにあった。
そして、2022年の私における闘争もまた、このアルバムとともにあった。
何度でも言うが、会社の研修先に向かう電車でよく聴いていたのが『春火燎原』・『BADモード』とこの『Queendom』で、『春火燎原』を祈りのための音楽、『BADモード』をチルのための音楽と定義するならば『Queendom』は闘争のための音楽だった。Skit〜「44 Bars」の流れを聴くといつも某駅の某線ホームの風景が思い出される。
『春火燎原』⇄『BADモード』⇄『Queendom』。この3枚による完璧なトライアングルが、折れそうになる背骨を無理にでも奮い立たせ、歩んでいく原動力となる音楽だった。


2022年ベストトラック

Daichi Yamamoto「Simple feat. 釈迦坊主」

2021年のベストトラックでもあったこの曲だが、2022年の今こそまた私はこの曲を必要としている。

Love yourself 
Take some time 難しいけど
Take your time

2023年も、私が私であるために生きていく。
ひとまずは転職活動がうまくいきますように。

生きている音楽で、生きていく音楽——Beyond THE NOVEMBERS - 20221110 -

生きている音楽で、生きていく音楽だった。

 

私がTHE NOVEMBERSというバンドに対して感じている面白さのひとつが、こんなに不穏でこんなに妖しい曲たちであるにもかかわらず、包まれるような穏やかさがあって、生きていくことに対する誠実さのようなものが感じられることにある。

 

前にこのバンドを観たときの感想にもある通り、私は完全にヴィジュアル系の文脈としてTHE NOVEMBERSを聴いている。

たとえば、メンバー自身影響を公言しているDIR EN GREYのライブにおいて、「THE FINAL」のサビで観客が"So I can't live"と叫ぶこと(この光景が再び観られるのはいつになるのか)も、生という奔流のひとつの発露であるように思われる。

底の底まで沈むことで光を得る、"So I can't live"が声に出されることで"So I can live"に転化していくのも、ひとつの「ヴィジュアル系らしさ」である。

ただTHE NOVEMBERSがそれとは一線を画している——これは「優劣がある」という意味合いでは決してなく、「別の場所に立っている」ということである——ように思われるのは、人間の生が持つ具体性、卑近な表現を使うならば「生活感」に対してある意味照れがないところだ(たとえば、「Close To Me」の「チャイニーズ・レストランで 美味しいものを食べたら すぐに優しくなれて なんとなく虚しい」という歌詞を思い出してほしい)。

おそらく、そういう率直さのようなものが今の私のモードに合っているし、男性アーティストがその種の、いわばカッコ付きの「男らしさ」から脱した感情を表明していること自体に安心感があるのだと思う(そしてそのある意味「男らしくない」態度こそ、ヴィジュアル系がその誕生とともに宿していた精神性であるといえよう)。

 

なんとなく私の中には小林祐介という人の言葉へ対しての信頼みたいなものがあって、それは他のものでいうならば『違国日記』に対する信頼とよく似た場所にあるように思う。

今日のライブを観て、それが何に対しての信頼であるかというと、生きることであったり愛することであったり、対話することについて、それらのままならなさそのものをすら内包した誠実さへ対するものなのだと気付かされた。

 

私はかねてより「ノベンバには『生活』があるから好き」と言い続けている。

この春からひとり暮らしを始めたのだが、生活という営み自体、因数分解すれば自分と対話して自分を愛していくこと/他者と対話して他者を愛していくこと、であると実感している。

たとえば自分のためだけに美味しいものを作ったり、疲れて布団から出られない土曜日には全ての家事を放り出したり。

重要なのは今自分が何を成したかではなく、私が私を愛せていて、私の生活の中で私自身を生かし続けていることである。

 

だからこそ、今日職場からLIQUIDROOMに直行したこの状況で聴く「こわれる」には突き動かされるものがあった。

資本主義のもと、我々労働者は絶え間ない成長という回し車へと引きずり込まれている。その非人間性が我々の時間を、感情を、その他「人間らしさ」を剥ぎ取っている。

たしかにTHE NOVEMBERSの音楽は生きることへの寿ぎであるわけだが、あの暴力的とさえ形容可能な音の中で叫ばれる「感性が剥がれている 生活だけが残る」には、『痙攣』第1号掲載の「THE NOVEMBERSと変革の最低条件」で伏見瞬が指摘したように、「『流動的で不安定な社会システムに取り込まれた個人が実感する悲痛さや痛み』というコノテーションが含まれているはず」であり、「現在の状況に対する明確な抵抗」の文脈を有する(p87)。

この抵抗の方法こそ、先に述べた愛であり、対話であり、THE NOVEMBERSが表現する「生きること」そのものではないか。生きることはそれ自体が抵抗の手段であり、そのふたつはウロボロスのように果てなく繋がっているのである。

 

愛・対話・誠実さ・抵抗——真善美とのみ表現するには到底足りない、生きていくことに対するすべての感情を内包し、「いい未来」へと進んでいく。

それを約束するかのようなライブだった。

燃え盛る炎と私は生きる――春ねむりのライブ初参戦によせて

Flowers Loft 2nd Anniversary "OVERDOSE"

そこに鳴る・春ねむり

 

初めて親元を出て会社員になって、自我がドロドロに溶け出すような感覚を味わい始めたこの春に出会ったのが春ねむりの『春火燎原』だった。

 

会社の研修先に向かう電車でよく聴いていたのがAwich『Queendom』・宇多田ヒカル『BADモード』とこの『春火燎原』で、『Queendom』を闘争のための音楽、『BADモード』をチルのための音楽と定義するならば『春火燎原』は祈りのための音楽だった。

さらに言い換えるならば、「本来の自分、こうでありたい自分を手放さないための」音楽だった。

 

私自身の話をしよう。

大学3回生〜修士の計4年にわたって社会学を専攻していた私にとっては、従来の社会/自己のあり方に疑問を持つこと・異議を唱えることは自分が自分に対して絶えず要請している思考の形式のひとつで、そうすることが私が私を生きるための手段ですらあった。

 

しかしながら、「世間」は――クソ家父長制がのさばりフェミニストがサンドバッグ扱いされるこの日本は――ご存知の通りまったく私に寄り添わなかった。

同期との雑談ではなんの注釈もなく「彼氏いる?」と聞かれたり、実際の仕事内容を模した研修では当たり前のようにパワハラまがいの指導をされたり、そんなところにいては私は私の姿を保てないような気がしたのである。

 

さすがに今となっては「そういう場所にいる」という前提ができてしまったので、数ヶ月前のように常に自我が揺さぶられるようなことはない。

最近は私自身ずっとやりたかった髪型であるマンバンにするなどして、自分が自分であるための抵抗を実践する余裕も生まれてきた。

それでも「そういう場所にいる」こと自体への不条理さや怒りを手放す必要はないことは明白だし、春ねむりの叫びはそのことを絶えず私に思い出させてくれる。

 

そんな日々を経て今日のライブに至ったのだから、終始泣きながら笑っていても仕方なかったのではないだろうか。 

ヘヴィメタルもヒップホップも経由した私にとってはその洗練されたミクスチャー感がどこまでも心地よいのに、そのうえ春ねむりのステージングには生きていくということにまつわる喜怒哀楽の全てが存在している。

過去現在未来にわたって私たちが生存している、そのこと自体を言祝ぎ祈る剥き出しの生がそこにあった。

終演後、空っぽのステージに流れる「生きる」に合わせて手拍子をしながらマスクの下で声を出さないように「How beautiful life is!」と歌ったあの瞬間、私もまた剥き出しの私自身を感じていた。

 

私の――あるいは顔も知らない誰かの――名前と生の輪郭を奪おうとするすべてに対して抗いながら生存するための音楽。それが春ねむりの音楽であり、私は私であるままで今日この時間に立ち会えたことを幸福に思う。

3年越しに観てもやっぱり銀河系で一番カッコいい――the god and death stars ONEMAN LIVE【JUNE40】

the god and death stars ONEMAN LIVE【JUNE40】

00. オープニングムービー〜the introduction〜
01. エレファント
02. サックサクサンデー
03. 三日月の鈍光
04. オカルト
05. 風邪のライオン
06. エドワード・スミス
07. いつかギラギラする日
08. canine
09. ハッピージェー
10. squall me
11. センチメンタルバス
12. 出来事と偶然の為の媒体〜あれから
13. 君に決めた
14. massacre upside down
15. 死神のルルル
16. 薄荷
17. 夜を歩く葡萄
18. aaron
19. さらば青春のリボン
20. dawn of the god


私にとっては銀河系で一番カッコいいバンドなのに、(おもにコロナ禍のせいで)最後に観てから今日が来るまで3年近く空いてしまった。

思えば私がヴィジュアル系のオタクになったのが2013年2月6日のことで、間瀬ギャになったのが2017年の秋か冬ごろ――まさにその翌年、「エドワード・スミス」を聴きながら桜を眺めた20歳のころ――だったのだから、バンギャ人生においては間瀬ギャになってからの期間の方が長くなっていたのだった。

だからこそ、開演一発目の「エレファント」を聴いたときは私の心の真ん中で拍動するかのようなビートを感じたし、私自身様々な変化を経てもなお根底にこのバンドの音楽が流れているのだと直感的に理解した。

間瀬ギャになってすぐのころ、好きになった理由のひとつに「60歳になっても何歳になってもずっとこの調子でステージに立っていそう」というのを挙げていた。
バンドという生き物は不変ではないからこそ、3年近くブランクが空いても変わらず迎え入れてくれる暖かさが沁みる。

私は常々the god and death stars、ひいてはaie氏のギタープレイに対して「比較的シンプルなことしかやっていないのになんでこんなに手を替え品を替え毎度カッコいいのか」と思っているのだが、やはり今回もそれは健在。
そればかりか、aie氏のギタープレイは鋭さと衝動性を増し、バンドとしてもより強靭なビートを鳴らしていたように思う。
以前からメンバーも「踊れるバンド」と自称していたかと思うが、私も今回やっと真に理解する境地に至れた。

特にすばらしかったのが、遠征帰りの夜行バスで聴いていた定番曲「canine」、最近のthe god and death starsで一番のお気に入り「squall me」・「出来事と偶然の為の媒体〜あれから」。
加えて、「君に決めた」〜「薄荷」の流れも、曲入り前のMCでaie氏が「あとは楽しむだけ!」と言っていたようにただただ身体が音楽と化していくかのような解放感があった。

滋味深くてアンニュイで不穏で、でも初期衝動も色気もある。生きて血の通った人間の手によるロックンロールがそこにあった。
たぶんこれからも、私にとっては銀河系で一番カッコいいバンドであり続けると思う。

〈いま・ここ〉の立脚点——THE NOVEMBERS 2021 TOUR - At The Beginning -大阪公演によせて

THE NOVEMBERSのライブを観た。2019年10月に開催されたBorisとの対バン以来、約1年半ぶり2度目である。
この記事を書く段になって私もようやく気づいたのだが、コロナ禍前に最後に行ったライブハウスがその対バンだった。そして今日がコロナ禍以降最初のライブハウス、というかコロナ禍以降の「現場始め」となったのである。

 会場に向かうとき、大学時代に所属していた(そして「音楽性の違い」から院進にかこつけて辞めてしまった)軽音サークルの後輩に声をかけられて驚いた。
というのも、私からしてみれば、「UKロックからの影響」や「シューゲイザー」といった従来のTHE NOVEMBERSの代名詞は縁が遠く、まさにそれらの流れからリスナーになったであろう後輩たちがいるなんてことはすっかり失念していたからだった。

実際、THE NOVEMBERSに対して、以前の私は「みんな好きって言ってるけど私にはピンとこないなあ」などと思っていた。
そんな固定観念を蹴散らしたのが『TODAY』収録のL’Arc〜en〜Ciel「Cradle」のカバーや、思わずDIR EN GREYを連想してしまうような強烈なホイッスルボイスがみられるあの大名盤『ANGELS』、そして最新作『At The Beginning』だった。
このような経緯もあり、私は(とくに近年の)THE NOVEMBERSに対してヴィジュアル系だけどヴィジュアル系じゃないバンド」、もう少し正確に言えば「影響元はヴィジュアル系と共通しているけどヴィジュアル系ではないバンド」ぐらいに思っている(同じ枠にはPLASTICZOOMSやNEHANNが入る)。

後輩に遭遇したのち、私は1人で開演前BGM——BUCK-TICKの「ドレス」——を聴いたのだが、そのときふいに「うちのサークルの人たちとはノベンバの開演前BGMでBUCK-TICKが流れるエモさを共有できないんだよな。ノベンバの話はできるかもしれないけどその背景に見ているものがあまりにも違いすぎるし、サークルにいたころはきっと中途半端に同じ方向を向いてることが辛かったんだなあ」という気づきに至ってしまった。
この出来事自体、THE NOVEMBERSというバンド自体の立ち位置を示しているように思えてならない。どの立場から語るかによって見える景色が全く違うバンドなのだと思う。もっとも、裏を返せば音楽的な懐の広さとも言えるのだが。

 

そこで、ライブの感想にかこつけて私は私なりの語りを実践したい。
それはすなわち〈いま・ここ〉の視角からTHE NOVEMBERSをとらえることでもあり、その補助線としてヴィジュアル系や『シン・エヴァンゲリオン』に介在するリアリティを解釈することでもある。

まず、私がこのライブを観て真っ先に驚いたのは、「思ったより暴れられるじゃん」ということである。
私自身最近はLDH所属グループやヒップホップを聴くことが増え、曲の評価に「踊れる」という基準が増えた。それと同じように、今日のTHE NOVEMBERS「暴れられる」。もちろん、こんなご時世で着席ライブだったためジッと耐えるしかなかったのだが、いわゆる「暴れ曲」のときに柵前でひたすらヘドバンと折りたたみを続けたって違和感はなかっただろう。
また、バンドなのだから演者がヘッドバンギングしながらパフォーマンスするのは割とありふれた風景と言ってしまえばそれまでなのだが、演者の身体技法としてどうしてもヴィジュアル系バンド——たとえばDIR EN GREY——を連想せずにはいられなかった。「Down to Heaven」の、赤い照明に照らされた語りパートなどその最たるものだろう。
もっとも、ボーカルワーク、特にシャウトに強いリバーブがかかっていたのはヴィジュアル系との違いを感じて興味深いポイントではあったが。

加えて、今回もっとも強烈に印象付けられたのは「〈いま・ここ〉の立脚点としてのバンド像」だった。最近のTHE NOVEMBERSが、各所でエヴァンゲリオンへのオマージュを行っていることは皆さんご存知だろう。そこで、安野モヨコ『監督不行届』に収録された庵野秀明のインタビューを引用したい。このインタビューで庵野は、自身/自作のオタク性を批判的に捉えつつ、妻・安野モヨコの漫画を以下のように評している。

嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が湧いて来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。*1

上記の発言は、『シン・エヴァンゲリオン』での渚カヲルの言葉を借りるならば、「リアリティ」と「イマジナリー」の二項対立として言い換えることができるだろう。
碇シンジの内的葛藤に焦点を当てたテレビ版ラストや『Airまごころを、君に』に対し、『シン・エヴァンゲリオン』では第三村という形で「他人」が描かれ、「リアリティ」のなかで碇シンジは立ち直っていく。『シン・エヴァンゲリオン』を通じ、庵野秀明はついに「リアリティ」と「イマジナリー」のアウフヘーベン=「現実に対処して他人の中で生きていくための」エヴァンゲリオンを達成した、そう私は感じている。

今回のライブは、まさに「リアリティ」と「イマジナリー」のアウフヘーベンと表現するに相応しいものであった。「われわれは〈いま・ここ〉にいる」というメッセージを明確に感じられたからである。
1曲目「Rainbow」で「きみはいつも ここがはじまりさ」という轟音のファンファーレが鳴り響き、観客は没入の世界に連れ去られる。ラストを飾る「今日も生きたね」で、我々は現実の世界に軟着陸していく。というか、むしろ順序が逆なのだ。初めから〈いま・ここ〉に立脚しているからこそ、「リアリティ」は忘却されることはない。今日を始めたわれわれが生き抜き、再び明日を始めるための音楽、それが今のTHE NOVEMBERSなのである。

*1:安野モヨコ『監督不行届』、p141。

2021年上半期に聴いた音楽まとめ

今年ももう半年が終わろうとしている。
年々「今年ももう」の感覚が間に迫ってきている気がするが、それと同時にコロナ禍以降どうも時間感覚がゴムのようにノビノビになってしまっているので不思議な感じだ。
今年に限れば3月なんかはド就活中で毎日ES書いてたんだからまあそりゃ時間感覚狂うわなというところなのだが。

大半のアウトプットをTwitterに依存している今となってはこのブログも年に数回更新する程度になってしまったが、唯一の決まりごとである年末恒例総括記事がナアナアになってしまったことが昨年の心残りだった。もっとも、昨年のApple Music謹製再生回数ベスト100にチャートインしている曲があらかた入眠用プレイリストの曲だったのだから当然の帰結なのだが。新譜のdigを移動時間に依存しているとこうなる。

というわけで、変則的だが今年は上半期ベスト記事も書いてみることにした。
レギュレーションとしては年末恒例総括記事と同じく、2021年に初めて聴いた音源の中からお気に入りをレビューすることにする。新譜に限らない。
アルバム編/EP編に分かれているが、それぞれ後に紹介された音源ほど気に入ってるということで何卒。なお、アルバム編では特に気に入った曲を3曲ピックアップしている。

それではいってみよう。


・アルバム編

ヒプノシスマイク -D.R.B- Rhyme Anima『Straight Outta Rhyme Anima』

Straight Outta Rhyme Anima

Straight Outta Rhyme Anima

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Like→「RED ZONE (Don't test da Master)」「Love Dimension」「Bayside-Suicide」

ヒプノシスマイク』アニメ版の楽曲集。最初に懺悔しておきたいのだが、筆者はアニメ版を観ていません(ちゃんと全話録画したのに観る元気がなかった。映像コンテンツに限れば今年はこんなんばっかである)。
『ヒプマイ』本家より全体曲の曲調が激しめなのがいい。満を辞してm-floが楽曲提供した「Love Dimension」もすばらしい。m-floとマネジメント契約を結んでいるのはLDHなので今後のヒプマイはLDH所属アーティストの楽曲提供もワンチャンあるはずなのだが、はたして……。LDHavexとのパイプが太いので、avex主導のパラライで楽曲提供するセンもあるが。
とにもかくにも「RED ZONE (Don't test da Master)」の「俺の出世の踏〜み台♡」が好きすぎる。


THE RAMPAGE from EXILE TRIBE『REBOOT』

REBOOT

REBOOT

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Like→「SILVER RAIN」「FAST LANE」「BAD LUV

去年一番聴いたアーティストの待望の3rdアルバム……なのだが若干不完全燃焼感が残る。開幕「SILVER RAIN」から「BAD LUV」までの流れはマジで最高に良いし、メンバーのパフォーマンスは文句なしなのでなおのこと惜しい……。
既発シングルの表題曲とカップリング曲をすべて収録しているせいで新曲の数が少ないのはこれまで通りなのでいいとして、既発シングルの路線のバラバラさがアルバムにもそのまま反映されてしまったきらいがあるな、という印象。
というかこれは1st〜2ndアルバムで魅せてもらったゴリゴリの曲でブチ上げていく無敵のランペ(無敵のマイキーみたいに言うんじゃないよ)が聴きたい私といろんな路線をやってさらなる飛躍を求めたい事務所側との解釈の相違がある気がするのでこの辺で黙ります……メジャーデビューして売れ線になっていくV系バンドか?……来月のライブは無事に開催されてほしい。


PLASTICZOOMS『Wave Elevation』

music.apple.comLike→「Fall Down」「The Worm」「Chronic Offender」

あの稀代の大名盤にしてセルフタイトル『PLASTICZOOMS』から早4年(うそだろ)。
ゴスの闇はより深く、照らす光はより優しく。谷底に差し込む光を仰ぎ見ながら、それでもなお我々は踊り続ける。メビウスの輪のごとく。

 

STUTS & 松たか子『Presence (with 3exes)』

Presence

Presence

  • STUTS & 松 たか子
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥2139

music.apple.com

Like→「Presence II (feat. BIM & 岡田将生) [with 3exes]」、「Presence III (feat. NENE & 角田晃広) [with 3exes]」、「Presence I (feat. KID FRESINO) [with 3exes]」

『大豆田とわ子と三人の元夫』、素晴らしかったですね。
そして毎回変わるエンディングも演出・曲ともに素晴らしかったし、同じトラックでこんなに個性が違うのか、と毎回驚くばかりだった。しかもどのバージョンもサビとCメロでしっかりブチ上げてくる。
ヒップホップ聴く頻度は少なくない割にdigをほとんどやってないので「松たか子、歌うま〜〜!!!!!!!」「角田さんのラップが妙にうまい」「ラップでも岡田将生はかわいい」レベルの感想しか言えないのでドラマの感想を書こうと思う。最終回まで観た私が「推せるのはシンシン、パートナーにするなら八作さん」と思った、という話だ。
どう考えても私の中ではシンシンがぶっちぎりでかわいいのである。小麦粉を頭から被ってしまうシーンなんて、愛らしすぎてもう笑うしかなかった。ただ私はシンシンほど理論武装する勇気もないし弁護士になれるほどハイスペックでもない。そもそも毎日を直感とノリと勢いで生きているタイプの私だと、1日と経たず大喧嘩するだろう。絶対に。

就活を経験したからなのかなんなのか、最近の私の中で「公的領域と私的領域の釣り合い」がホットなトピックとなっている。要は「社会と人格をどうバランスとりながら生きていくか」という話だ。私はどちらかといえば社会に馴染めないタイプの人間で、もちろん私を馴染ませない社会も悪いのだが結局はそんな社会の中で生活していかなければならない。そんなとき「この世なんてクッソくだんねー」と思うのか、そういうバランスの波長が合わないと人付き合いって難しいな、と思うことが増えたのである。卑近な例えだと「外コン就活!圧倒的成長!」か「就活?まあなんとかなるっしょ」のどっちがいい?という感じだ。
それを思えば、「三人の元夫」の中だと八作さんが一番波長が合う気がしているのだ(松田龍平の雰囲気に私が弱いだけという説もある)。私が『スナックバス江』を愛読しているのもこのへんの要因が大きい。明美さんもタツ兄も、「まじめにふまじめいっちょくせん」なのである。多分ね。

このテーマは、同じく今クール放映のドラマ『着飾る恋には理由があって』にも通じる。この作品の主人公はインフルエンサーであり、余暇時間という私的領域にあってもなおその様子をInstagramで発信することが彼女の労働の一環となっている。公的領域と私的領域の境目が無くなったライフスタイルの中で、どのように自己のバランスを取るかがこの作品のテーマなのである。

そういえばこのドラマのクライマックスで流れる曲は星野源「不思議」であり、各話ごとにスーパー星野源タイムが起こるように演出されていた。これは同じTBS系列のドラマ『リコカツ』でも同様だったのだが(こちらは米津玄師「Pale Blue」)、『大豆田〜』といいED演出に凝るのが流行してるのか?私がこれまでボーッと観すぎてたのか?『着飾る恋』は『MIU404』と同じく塚原あゆ子氏演出なのでそのへんの影響下もある気がするが……。

 

GENERATIONS, THE RAMPAGE, FANTASTICS, BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE『BATTLE OF TOKYO TIME4 Jr.EXILE

BATTLE OF TOKYO TIME4 Jr.EXILE - EP

BATTLE OF TOKYO TIME4 Jr.EXILE - EP

music.apple.com

Like→「CALL OF JUSTICE」、「VIVA LA EVOLUCION」、「LIBERATION」

謎の展開でファンを混乱させ続けることでおなじみ、Jr.EXILELDHの若手グループ4組の総称:GENERATIONS・THE RAMPAGE・FANTASTICSBALLISTIK BOYZ)主体の総合コンテンツ「BATTLE OF TOKYO(通称:BOT)」の新譜。バトルオブトーキョーって何?と思った方はググってください。必要な説明が多すぎるせいでこの記事の趣旨かなんなのか迷子になりそうなので。
このアルバムについては、BOTにおける各グループの立ち位置(役どころと言った方が正確かもしれない)をうまく取り入れながら各グループの「らしさ」を表現することに成功している気がする。もっともBOTに関しては、先日発売の小説版は積読中・展覧会もスケジュールが合わずに行けずじまいというひどい有様なので偉そうに言えた立場ではないのだが……。

それにしてもラスト2曲の立ち位置がわからん。ジェネとランぺのコラボ曲を入れるならファンタとバリのコラボ曲もあって然るべきだし最後の曲に至ってはそれBOTじゃなくてただのJr.EXILEの曲では?
コンテンツ全体に対しては、個人的には↓のような感想を持っているのでこれからの展開も楽しみにしている。またライブもしてほしいね(本来は東京オリンピックを意識した展開になるはずだったのだろうが……)。

 

NEHANN『New Metropolis』

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Like→「Nylon」「Under the Sun」「Hollowed Hearts」

上半期にしてもう「2021年のベスト音源獲るんじゃないか?」と言いたくなるレベルのマスターピース
80'sポストパンクが表題通り「New Metropolis」で磨かれるとこうなると言わんばかりの、ストリートと地下の匂いを身に纏ったサイバーポップ。ライブハウスで例えるとするならば、池袋手刀以外ありえない。
ヴォーカルの声質が低く、朗々と歌っているさまがとてもすばらしい(個人的にはdieSの荒瀬大を連想した)。BUCK-TICKといい、この手のサウンドは低音ヴォーカルと相性がいいのか。
THE NOVEMBERSやPLASTICZOOMSあたりの「影響元はヴィジュアル系と同じだけどバンドのポジションとしてはヴィジュアル系じゃないバンド」と同じベクトルを向いている気がする。NEHANN、上記2バンドとdieS・DALLE・gibkiy gibkiy gibkiyあたりで対バンしてくれないかな。もちろん池袋手刀で!
2020年を経た現在、我々にとっての「New Metropolis」たる東京はますます陸の孤島となり、ヴァーチャル化している……というのは地方在住者のバイアスだろうか。かつての私は遠征を通じ、バスタ新宿や東京駅を通じ、「東京」という巨大都市の一片を自分の身体としていた。おいそれと東京に行くことのできない現在、「いま・ここ」、私がいるこの土地の外側は、SNSやメディアを通じてでしか認識できないヴァーチャルな存在に近い。その極めて限定された想像力を縫って、NEHANNの音は疾駆する。誰もいない午前3時の東京、人工の光に照らされた闇の中を。

 

 

・EP編

遠藤由惟『möbius. - EP』

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TLで知ったアーティスト。ヴォーカルワークが完全にヴィジュアル系なのに対し、曲の作りがかなりアンビエントに寄っている対比が面白い。NEHANNの項でも書いたが、THE NOVEMBERSやPLASTICZOOMSあたりの「影響元はヴィジュアル系と同じだけどバンドのポジションとしてはヴィジュアル系じゃないバンド」と同じベクトルを向いている気がする。早くフルアルバムで聴きたい。

 

宇多田ヒカル『One Last Kiss』

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白状しよう。この記事の下書き時点では取り上げる予定はなかった。

『シン・エヴァンゲリオン』の初見は3月。当時の感覚はもう記憶の彼方なのだ(単に就活の記憶を消したかっただけともいう)。ちなみに、シンエヴァの薄い本は(現時点だと)もらい損ねている。

ただ、今聴いてもイントロの時点で宇部市の空撮が目に浮かび「実写パートおおおおん!!!!!!!」となってしまう。すでに各所で言われていることだが、「初めてのルーブルはなんてことはなかった・わ」で一旦切れる歌詞とメロディの不均衡さが非常に印象的である。NEHANNの「Nylon」のサビも「Superimpose the hologram of a New・metropolis」であり、初めて気付いたときは思わずニンマリした。

思い出せば『シンエヴァ』の時期は歴代主題歌はもちろんサントラもよく聴いた。『シン・ゴジラ』のときも感じたが、鷺巣詩郎の手によるサントラはクワイアの使い方が崇高ですらある。

 

MAD TRIGGER CREW「HUNTING CHARM」

HUNTING CHARM

HUNTING CHARM

  • provided courtesy of iTunes

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これだけ曲単位でのセレクト。ヒプノシスマイクよりヨコハマディビジョン・MAD TRIGGER CREW。『ヒプノシスマイク』というコンテンツとしてのビジネスモデルや作り手側のジェンダー意識がどうしても気になってしまい、メインストーリー自体を追うのはやめてしまったのだがやっぱり曲はかっこいいんだよな〜〜!出たのは去年だけど「Survival of the Illest」もベースラインが心地良くて好き。
イントロが白石晃士監督作品に出てくる霊能者みたいで好きです。終始ガチガチに韻踏んでて何回聴いてもめちゃくちゃ気持ちいい。初めてヒプマイ聴いたときからずーっと入間銃兎(ここではあえてキャラ名で書く)の声質と歌い方が好き。うまく説明できないけど癖になる。

 

BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE 『Animal』

Animal

Animal

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上半期の優勝曲、表題作「Animal」でもう決まりでしょ。楽曲として何がどうすごいのかは下記リンクの記事に説明していただくとして、ひたすら曲が良い〜〜!踊れるけどチルくて音に行間がある。打って変わってゴリゴリのヒップホップチューン「HIGHWAY」もかっこいい。一刻も早くフルアルバム出してくれ。

弊ブログ、どの層が読んでるかわからないけど今のLDHのトラックは全体的にめちゃくちゃかっこいいですよ。決して侮るなかれ(事務所の体質が曲のクオリティやパフォーマーのすばらしさに追いつけてないのがただただ歯がゆい)。

realsound.jp

 

PKCZ®︎『GLAMOROUS』

GLAMOROUS - Single

GLAMOROUS - Single

  • PKCZ(R)
  • ダンス
  • ¥255

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これも「Animal」と並び優勝で良いのではないだろうか。真夏に食べるそうめんみたいにツルツルスルスル聴ける!ひたすら踊れる!大好き!(この手のジャンルに疎すぎて感想文が5歳になったオタク)最近出たリミックスバージョンもロックになっててすごくかっこよかった。

就活真っ最中のときによく聴いていたので今聴いてもちょっとその辺の感覚になってしまう。白濱亜嵐がこんなかわいい声で歌えるのなんでなんですか?!??!それはそうとインブラはどこに行きたいんだ。まだ「中の人」のネタバラしすら(公式には)済んでいないのだが。

 

こうしてみると上半期リリースでも聴きそびれてる音源が多くて愕然とするthe GazettE『MASS』はいつApple Musicに来るんですか?!?!。black midiダニー・エルフマン……KID FRESINOの新譜は一度聴いたけどまだ聴き込めてない。
とりあえずこの世がもう少し平穏になることを祈ります。下半期はもっと音楽聴けますように!ライブも行けますように!

2020年のオタク活動をふりかえる

 2020年は多くの人にとって転換点であったと思う。私の場合間違いなく画期となった。

 

 今年の現場一覧は以下の通り。

1/1 (承前)LDHカウコン(LV)
1/8 『ぐるっと関西』観覧 @NHK大阪
1/28 QUEEN + ADAM LAMBERT @京セラ
2/13 『貴族降臨』舞台挨拶(LV)
2/22 白倉・武部P w/高岩さん @映画村
2/23 白倉・武部P w/靖子にゃん @映画村

 ご覧の通り、2月以来現場には行っていない。2月後半からの怒涛の中止/延期ラッシュを経た夏以降、ライブや演劇が少しずつ復活していった後も結局行くことはなかった(「ハイロー関連かTHE RAMPAGE関連かthe god and death starsなら行く、遠征は基本ナシ」という個人的な縛りを設けていたので)。
 配信ライブも集中力の問題でほとんど観なかった。観たものといえば11月のアラフェス2020と大晦日のThis is 嵐、LDHのカウコンくらいか。

 

 現場のオタクとしてだけでなく、音楽好きとしても今年はなかなか満足できない一年だった。移動時を中心に音楽を聴くライフスタイルを取っていたため、聴取機会が激減したのだ(そのせいで今年のApple Musicの再生回数上位が就寝用プレイリストの曲で独占される羽目に…)。
 ざっくり言えば上半期はTHE RAMPAGE from EXILE TRIBE中心に、下半期はイメソンプレイリスト(後述)を中心に聴いていた気がする(そして就寝用にHIROOMI TOSAKA!)。

 

 私個人としても年初めに卒論提出や院試、大学院入学と大きなイベントが重なったこともあり、コロナ禍も相まって精神的に参った時期がかなり長かった。3月ごろから夏まで何をしていたか正直あまり記憶がない。

 変化が起こったのは6月終盤。その少し前にアマプラに来た、白石晃士監督作品にして『仮面ライダーオーズ』のアンク役でおなじみ三浦涼介さんが最強霊能者を演じることで有名なホラー映画『カルト』を観たあたりからだ。
 端的に言えばどハマりしてしまい、『オカルト』から『コワすぎ!』シリーズ、『ある優しき殺人者の記録』、『ノロイ』、『殺人ワークショップ』と次々に白石晃士監督作品を観ていった。普段観る映画といえば仮面ライダーかハイローの二択のオタクなので、初めて「監督買い」をしたことになる。

 そこで私の中で何かの蓋が開いたらしい。映画暗黒神の導きか、突然二次創作SSが書けるようになった
 もともと二次創作にはほとんど触れてこなかった(Twitterでファンアートを見る程度)のでpixivのアカウントを取得するところから(!)である。

 

 そして数本書いたところに出会ったのが現・自ジャンルである。北海道で金塊争奪戦をやる漫画と言えばおわかりいただけるだろうか。
 高1の秋〜21歳頃(作品でいえば『東京喰種』11巻あたりから『東京喰種:re』完結まで)あたりは毎週ヤンジャンを読んでいたので現・自ジャンルのことは連載開始当時から読んではいたし単行本も全巻揃えていたのだが〜〜!!!!!!

 23巻である。具体的に言えば231話である。

 9月に発売された単行本で読んだこのエピソードがあまりにも完璧すぎて――そのうえ無料キャンペーンに釣られてアプリで読み返したりそれに飽き足らず手持ちの単行本を全巻読み返したりするなどして――すっかり虜になってしまった。何度も言うがもともと好きな漫画だったのに突然覚醒してしまった。

 オタク女23歳、生まれて初めて推しカプができた。生まれて初めて二次創作BLに足を突っ込んだのである。

 まあそんなわけで推しカプに狂った。おまけにホルモンバランスまで狂ってしまい普段はルナルナ遵守の生理周期がガタガタになったり中学時代ぶりに不正出血を起こしたりした。
 今では推しカプのイメソンプレイリストを作ったり二次創作SSを書いたり明治陸軍関連の文献を買ってみたりとらのあなアニメイトに大金を突っ込んだりして面白おかしく過ごしている。正直、これだけで2020年はそんなに悪くなかったと思えるし、終わりよければすべてがよく思える。

 

 私は常々「ハマった瞬間が自分にとっての沼落ちグッドタイミング」説を提唱している。現・自ジャンルにおいてもそうだ。
 二次創作BLは、結局のところ「余白を想像する能力(=二次創作筋)」と「名前のない関係性を恋愛と解釈する能力」の両方がないとできないように思う(少なくとも私の場合は)。私は前者を映画暗黒神によって、後者を10月ごろに読んだ『カラオケ行こ!』によって得ることができた。
 とすればこの沼落ちは私の中で来るべくして来たものであり、(後から振り返れば)割と周到な伏線が貼られていたともいえるのだ。

 これまで何度かBL関連の文献を読んだことはあったが、あまりしっくり来ていなかった。というかまるで理解していなかった。今では割とわかるような気がしている(一次創作BLの経験値が皆無のため未だにBL愛好者としての当事者感がないので自信がないが…)。
 今、二次創作BLに触れて一番思うことは、読むことはたのしく、かつ自分の全てを炙り出される行為であり、読みの地平は思っていたよりも広大であるということだ。

 男同士の恋愛や性愛を解釈したり書いたりするにあたり、私は自分の立つ地平――シスヘテロという属性、無意識に抱いていた偏見――や、社会構造を俯瞰的にとらえ批判的に読み/論じることの能力の乏しさといやでも向き合わなければいけなかった。

 二次創作BLを読み、そして書くとき、自分の中にある愛のかたちや偏見、先入観をひとつひとつ取り出し、先人の成果と照らし合わせながら点検する作業が必要だと感じている。だから今回はまだ私に起こった変化について詳細には書けないが、私の中で大きなうねりが起き、半ば取り乱しながらも晴れやかに2020年を終えようとしていることをお知らせしてむすびとしたい。

 

 改めまして、2020年を共に生き抜いたみなさんありがとうございました。2021年、もう今年になってしまいましたね。今年の目標は、1万字越えのSSを書くことと読書量を増やすこと、そして何よりも心身ともに健康に生き抜くことです。本年もよろしくお願いします。